恋と旧懐~兎な彼と1人の女の子~
「あっお母さんは?」



人の家だから。

焦るようにして,愛深はいい加減その質問をした。



「……今日は遅くまで帰って来ないと思う」



俺も,悪気所か善意しかない愛深に,嘘をつきたいとは思えなくて。

出来るだけ普通に答えたはずなのに,愛深は戸惑うように



「おし,ごと?」



と付け足した。



「違う」



淡白な短い答えに,愛深が迷うような姿を見せる。

何が正しいのか,考える顔。

俺にとって,何が正しいのか。

答えるのを躊躇したのが,答えたくない理由があるからだと愛深は気付いてくれている。

たとえ大半の人間にも察することが出来たとしても,こんな風に真剣に考えてくれるのは弘と真島のおっさんを除けば,きっと愛深だけ。

じっと見つめれば分かる。

愛深は,俺のために続きを尋ねることにした。

けれど,瞳を揺らして,それで本当に正しいのかと迷っている。

全部,俺のために。



「はぁ。全く,愛深はほんとバカだよね」



そんな姿を見せられて,それでも俺だけが黙っているなんて出来ない。

俺がふっと笑ったのが,愛深には唐突に思えたのか



「え?」



愛深は空気が抜ける様な呆けた声を出した。

愛深は,涙を溜めているくせに,それに気付いてもいなくて。

手を伸ばし,雫を拭う。

泣く程辛いことを,考えてくれてありがとう。



「ここに来たなら,話,聞いてよ。勝手にしゃべるから」

「……ん,分かった」



ごめんね,なんて,頼れない人のような気持ちが伝わってくる。

そんなわけ,ないのに。

愛深はその姿1つで,安心と喜びをくれるのに。
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