恋と旧懐~兎な彼と1人の女の子~
お陰で,幾分息がしやすくなって。

するすると,言葉が出てきた。



「あれ,昨日母さんがやったの。止めようと声をかけて,抵抗しようと振り返った母さんの,店で施されたネイルのついた長い爪が当たった。まぁ,そのお陰で落ち着いて寝てくれたんだけど。その後悔が長引いて今日は帰ってこない」



傷なんて,痛くも何ともなかった。

痛かったのは母さんの方。

傷を増やしたのも,俺じゃなくて……

振り返った罪悪感に塗られた母さんの表情は,また直ぐに忘れられそうもない。

怒るなんて,更に出来るわけもなくて。

小さく宥めると,今度は大人しく寝てくれた。

その枕もまた,濡れているのかもしれないけど。



「あの高いバック」

「やっぱり高いんだ」

「父さん若かったけど,社長としてちょっと成功してたらしくて,保険にも入ってたしお金がいっぱいあったらしんだ。引っ越そうって話もあったって」




家族で新しい家に行くのを,皆楽しみにしていた。

そんな日が来るのを,楽しみにしていた。



「他の男に行くなんて出来ない母さんは,日中はパートとして働いて,散財する。その証みたいなバックなんかは,見ると悲しそうな顔をするから俺が売るかしまってるんだけど」



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