一夜限りのはずだったのに実は愛されてました
「紗夜、蟹はどうだ?蟹づくしに行こう」

「蟹!大好きです」

私は本当に蟹が好き。
実家にいるときにはお正月やお祝い事などで食べる機会があったが、帰省していない私はここ数年食べていなかった。

緊張の糸がほぐれ、蟹のお陰でなんだかだいぶリラックスしてしまった。

お店の駐車場に着き、暖簾をくぐると旅館のような印象の趣のあるお店だった。

女将が出てくると、

「女将、今年もよろしく頼むな」

「もちろんです。松下様、今年もよろしくお願いいたします。ただいまご案内しますね」

そういうとパタパタとパソコンの確認に行き、私たちを部屋へと案内してくれた。
松下さんは「お任せで」と女将に声をかけており常連なんだと思った。

私たちだけになると松下さんは足を崩してあぐらをかいた。
私にも足を崩すよう声をかけてくれるが、そんな雰囲気ではない。
せっかく蟹で解けたはずの緊張がまた舞い戻ってきてしまった。

「ま、松下さん。すごいお店ですね。よくいらっしゃるんですか?」

「うーん、まぁまぁかな。ここぞというときに使うことが多い」

「そんなお店だなんて……」

「美味いもんを食おうって言っただろ?ここは間違いなく美味い。だから楽しみにしてけよ。酒は飲めるよな?日本酒でいいか?カニ味噌で飲もう」

「松下さん、車ですよね?」

「あぁ、代行頼むよ。ここに来て飲まないなんてあり得ないから」

そういうと女将を呼び日本酒の相談を始めてしまった。
私は九州の女。もちろん飲めるけれど銘柄は詳しくない。とにかくお酒ならなんでもいいというザルなので松下さんの決めることに口を挟むことはなく注文をお願いした。

「今年は初出勤が金曜でよかったな。お陰で挨拶回りだけしたら明日からまた2連休だ」

「そうですね。なんだか身体が楽ですね」

早速運ばれてきた日本酒を松下さんにお酌しようするが徳利を私の手から取り上げる。

松下さんは私に注いでくれるようでお猪口を早く持つように促された。
私がもつお猪口に並々と注ぎ、自分の分は手酌で入れてしまった。

「今年もよろしく」

「はい、よろしくお願いします」

そういうと盃をあげ、グイッと飲んだ。

「美味しい!うわぁ、久しぶりにこんな美味しい日本酒飲みました」

「だろう?ここは越前蟹を出す店なんだが、福井のお酒も飲めるんだ」

料理もどんどん運ばれてくる。
色とりどりの前菜が並んだと思ったら2人の真ん中に大皿に載った蟹がドンと置かれた。

「なんですか、これは!凄い。松下さん、凄いです!」

「ほら、食べてみろ。俺のイチオシの蟹だから」

私に蟹スプーンを受け取ると蟹の足を手に取りほじり始めた。
あまりの美味しさに話すことも忘れひたすら蟹を食べ始めた。

「どうだ?ま、話さないってことはそれだけ美味いってことだよな」

「す、すみません。本当に美味しすぎて無言になってました」

松下さんは破顔して声を上げて笑っていた。

「紗夜のいいところは素直なところだ。繕うことなく、建前もなく、まっすぐに表現できるところがいいところだ。だからこうして食べさせても表情で美味しさが伝わってくるよ」

そんな事を言われると恥ずかしくなる。

「紗夜、ほらどんどん食べろ」

そんなこと言われるとものすごく食べにくくなった。
そんな私を見て松下さんは笑っている。

「恥ずかしいって顔してる。紗夜はほんと、顔に出やすいな。蟹を出してやろうか?」

「だ、大丈夫です」

そういうと日本酒をグイッと飲んだ。
すると松下さんはまた注いでくれた。

松下さんがまた蟹を食べ始めたことでようやく落ち着き、私もまた食べ始めた。
途中、茶碗蒸しなども運ばれてくるがどれも絶品すぎて箸が止まらない。

蟹の甲羅に日本酒を入れて飲んでみろと言われ試してみると、これがまた美味しくて止まらない。

「紗夜、大丈夫か?だいぶ飲んだけど」

「はい。お酒は強いんです。こんな楽しいのも今日が最後だから、いい思い出になりました」

本当は言わなければならないことだけど、ズルズルと後伸ばしにしていた件について私はつい口が滑ってしまった。
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