人助けをしたら人気俳優との同居が始まりました

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「今年からうちで働き始めた内科医がいるの。年齢は3つ上かな。ずっと飲みに誘われてて断り続けてたんだけど、友達に1度くらい行ってみたらって言われて、先月飲みに行ったの。そのときに今度は海にでも行きましょうって誘われたんだけど、海は嫌いだから遠慮しますって即答してた」
「海、嫌いだったの?」
「ううん、全然。本当に嫌いだったら、太郎くんとも行かないよ」
「つまり嫌いって言ったのは、断るための嘘ってこと?」
「うん。……その人のために言っておくけど、決していやな人じゃないのよ。それどころか、彼を狙ってる人はたくさんいると思う。でも私はその人の誘いには心が動かなかったから、誘われてもずっと断り続けてた。先月だって友達に言われなければ行かなかったし。本当は昨日の仕事終わりも今日の休みも誘われたんだけどね」
「断ったわけだ」

 叶恵は頷く。
 早見よりも太郎を選んだのは間違いない。
 それも迷いなく。
 10日前から一緒に暮らし始めたとは思えないほど太郎とは気が合うし、一緒にいて退屈しないし、くだらないことで笑い合える。
 ただ、それを恋愛感情だと認めるのは怖いし、それ以前に認めてはいけない気がする。
 たとえ太郎が自分を本気で好きだとしても。
 住む世界が違う者同士が結ばれるのはお伽話の中だけで、現実に起こりうる可能性がほとんどないことは誰もが知っている世の道理だ。

「ねえ、叶恵さん。もうその人からの誘いに乗らないようにね。もしも誘われたら彼氏がいるって言いなよ」
「太郎くんが彼氏のフリしてくれるの?」
「フリ、ね……。仕方ないから、今はフリで我慢しておいてあげる。そのかわり」

 頭を撫でていた叶恵の手をそっと掴んだ太郎は、その手を自分の口元に持っていくと。

「ちょ、ちょっと。太郎くん⁉」

 戸惑って振りほどこうとする叶恵の手に少しだけ力を込めて、太郎は叶恵の手首にキスマークを付ける。

「マーキング、しておかないとね。それともほかのところの方がよかった?」

 いたずらっ子の笑みで見つめられ、叶恵は激しく首を横に振る。

「あんまり俺を煽ると、これだけじゃ済まないよ?」
「煽るってどういうこと? 私、何かした?」
「じゃあ無意識? 今の叶恵さんの話を要約すると、叶恵さんはその医者より俺を選んだってことだよ。俺、少しは期待してもいい?」
「それは……」

 期待されても困る。
 でもその一言が言えない。
 3ヶ月後に現実に引き戻されるまでは、お伽話の中にいたいと思ってしまったから。

「まあいいよ。叶恵さんの気持ちはなんとなく分かったし、俺も待つって言ったしね。これからは、ちょっと攻め方を変えてみようかな」
「は? 攻め方って?」
「ああ、気にしないで。今のは俺の盛大な独り言だから」
「全然独り言になってないし。ねえ、どういうこと?」
「知りたいならもう少し屈んで。こんなこと、大きい声じゃ言えないよ」
「大きい声も何も、私たちしかいないじゃない」
「耳貸してくれなきゃ教えない」

 太郎はわざとニヤニヤ笑って、叶恵を挑発する。
 そうすれば負けず嫌いの叶恵が罠だと気づかずに引っかかると確信していたから。

「……分かった。気になるから教えて」

 太郎の企みに気づくはずもなく、叶恵は素直に顔を近づける。
 と同時に少し体を起こした太郎に両手でうなじを包まれ、引き寄せられて唇を重ねられた。

「ん、ぁ……」

 突き放そうとするけれど、それ以上に強い力で引き寄せられ、唇を甘噛みされ、舌で唇がこじ開けられる。
 するりと侵入してきた舌に歯列をなぞられて、口腔内をくまなく愛撫され、舌が搦め取られる頃にはもう抵抗どころではなくなっていた。

「ふ、……ゃ、んっ……」

 もちろんキスは初めてではないけれど、こんなキスは知らない。
 自分の力がすべて奪われて、まるで脳みそが溶け出していくようだ。
 角度を何度も変えながら続けられるキスに何も考えられなくなって、叶恵は衝動のまま夢中で応じていた。

「た、ぁ……くん」

 あえかな声が漏れると、まるで仕上げのように太郎に舌を強く吸い上げられ、叶恵はやっと解放される。
 だが、奪い取られた力は簡単には戻らなかった。
 隣に座りなおした太郎に引き寄せられるまま、叶恵は太郎の肩に頭をもたせかける。

「……ねえ、叶恵さん」

 太郎の声に視線を上げると、太郎はため息まじりに苦笑する。

「今、自分がどんな表情してるか分かってないでしょ。お願いだから、そんな表情は俺以外の前ではしないでね」
「……私、どんな顔してるの?」
「俺を誘惑するエロい顔」

 反論を封じるように叶恵の額にそっと唇が落とされる。

「叶恵さん、俺とのキス、どう思った? 少なくとも、いやだとか気持ち悪いとか思わなかったよね? それが叶恵さんの中にある答えだよ」
「……」
「これ以上一緒にいると手を出さずにはいられないから、俺はもう寝るね。今日は本当にありがとう。カレーもキスもごちそうさま。おやすみ」

 呆然自失の叶恵を置いて、太郎はリビングを出ていく。
 本当は答えならとっくに出ている。
 ただ、認めるわけにはいかないだけだ。
 こんな調子で3ヶ月後、現実に戻ることができるのだろうか。
 太郎と一緒に過ごした時間も、今のキスも、すべてをお伽話だったと済ませることができるのだろうか。
 できるかできないかではなく、やるしかないのだ。
 このお伽話は3ヶ月間限定。
 現実に戻れば、住む世界が違う自分たちが関わりあうことはないのだから……。
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