雪山での一夜から始まるような、始まらないようなお話。
 今日は土曜日。ここに来たのはプライベートだ。相手をする義理はないと無視して、写真を撮っていたら、腕を掴まれた。

「帰るぞ!」
「ちょっ、なによ! ブレちゃったじゃない」

 彼を見上げて睨みつけると、それ以上に進藤は不機嫌そうに「帰るぞ」と繰り返した。
 いつも笑みを絶やさない彼がこんな表情をしているのはめずらしい。だけど、私の前ではたまにこう苛立った顔をするかも。ファンが見たらがっかりするわよ?

「まだ中にも入ってないのに、帰らないわよ」
 
 だいたいなんでそんなこと進藤に言われないといけないのよ。
 抗議の目を向けると、ますます苛立ったように握った腕に力を入れ、進藤は言った。

「バカだな。もうすぐ雪が降り始める。こんなところで雪に降られたら、下手すると遭難するぞ?」
「バカ!?」

 ムッとして、その手を振り払う。

「バカだろ? こんな薄着で冷え切って……」

 そう言うと進藤は自分の着ていたダウンコートを脱いで、私に着せかけた。

(あったかい……)

 彼の体温であったまっていたダウンコートに包まれて、冷え切っていた身体がブルッと震えた。
 撮影に我を忘れていたけど、寒さを思い出してしまった。

「バカはあんたでしょ! 風邪引くわよ?」

 慌ててコートを彼に掛け返す。
 フワッと彼の整髪料の香りがして、近づきすぎなのに気づいた。
 距離を取ろうとしたら、また腕を掴まれた。

「早く戻るぞ。あんた、雪山を舐めてるだろ?」
「別に舐めてないけど……」

 舐めてはいないけど、一応、人も住んでる場所だしバスもあるしとは思っていた。
 でも、進藤の焦り具合にちょっと不安になる。
 雪の中を三十分バス停まで戻って、いつ来るかわからないバスを待つことを想像した。ちょっとやばくない?

「わかったわよ」

 ふてくされてうなずいた私の頭に、無情にも雪がひらりと落ちてきた。



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