マリアの心臓
「そこど」
「あ、ここ使うよね? どうぞ!」
「け、…………は?」
「じゃあ、お先に」
冷えきっていた碧眼が、意外そうに丸くなる。
それを眩しがるように笑みがこぼれた。
急いで上履きを履き、廊下に足音を歌わせる。
そっか……あのヒトが、水附衛くん。エイちゃんなんだ。
へへ、と、また笑みが漏れた。
身体から、記憶から、愛があふれてくるかのよう。
アタシには未知の感情が、あまりにやさしくて、怖さも吹っ飛んじゃった。
「どーしたの、悪女ちゃん?」
「おはよ。なんかいつもとちがくね?」
階段を上ろうとした矢先、頭上から声が降ってきた。
踊り場に、男の子がふたり。
突然のことに驚きを隠せない。
「……」
「え、無反応?」
「ひさしぶりの登校で鈍った?」
「あ、わかった。ボクらに見惚れてんだ?」
そうでしょ悪女ちゃん、と意地悪そうに目を眇めたのは、左側にいる男の子。
首にかけられているヘッドフォン。
あどけなさのある狐顔。
吊り上がった、琥珀色の瞳。
知ってる。
彼のことも、憶えてるよ。
「……花室 鈴夏……」
「急にフルネーム呼び? なんで?」
「まじで見惚れてたのか?」
「う、ううん! ちがうよ!」
焦ってかぶりを振れば、「だよな」と右側にいる男の子が苦笑する。
透きとおるような色白な肌。
小さくて、中性的な顔。
左右で明度のちがう、茶色い目。
彼は……たしか、同じクラスの。
ウノくん。
山本 羽乃。
疼く記憶に、またフルネームが口をついて出そうになり、あわてて手で口を覆った。