マリアの心臓
思い当たる節があるとすれば……ひとつだけ。
『楽しかったなあ。あんなに遊んだの、はじめて』
まだ記憶に新しい、あの日。
――あいつが攫われたとうわさを聞きつけ、体育館へ走っていったときのこと。
ほんの少し様子をうかがっただけで、わかった。
異常事態。
オレの予想していた、あさっての方向の。
何かあったなら、ぜったい、あのときだ。
いまだによくわかっていないし、受け入れきれていない。
その場にいなかったふたりには、もっと、皆目見当もつかないだろう。
それほど不可思議な光景だった。
「うーん……なんでだ? ふつうにたらしこまれた?」
「あいつにそんな天然行為できっかなあ? 衛はどう思う?」
「……さあな」
たらしこむ、か。
ある意味、できちまうのかもしれねえな。
あいつの笑顔には、ふしぎな力がある。
深く、重く、そして痛く、胸を打たれるのだ。
そうして、その感覚に、溺れていく。
それを「たらしこまれた」と言うのならば。
きっと、オレも、そのひとりだった。
でも。
『あなたは……変わらないんだね』
……どこがだ。
変わっちまったよ、オレは。
変わらなければいけなかった。
昔のまま、純新無垢でいられたなら、どれだけ――。
「……もう少しで夜が明ける。後処理だけして帰んぞ」
「ほーい」
「男のほうは任せろ」
散り終えた桜は、それでもなお、月明かりに透けて美しい。
穢れた地をもきれいに染めてくれるせいで、直視すらできない。
オレはもうこっち側の人間なんだと、突きつけられているようで。
無意識に月影にこの身を沈めた。