きみの瞳に映る空が、永遠に輝きますように
外出には基本的に父の許可が必要だ。
これが正直面倒でこれまでも何度も破ってきてはいるが、毎日のように、これさえなければ、と思って生活している。
とはいえ父の言いたいことは分かる。
むしろ身をもって感じたのだから、痛いほどわかる。
それでも、やはり納得のいかないところはあった。
今日は父に借りてきてもらった映画を見る。
お決まりのごとくハッピーエンドのコメディー映画。
メディアに触れるときは大抵この選び方だ。
徹底してバッドエンドは避けるし、続編があるものには一切手を付けない。
今日も、あらかじめ検索しておいて、これだというものを頼んでおいた。
おそらく同年代は恋愛映画を好むだろうし、私だってそうだったと思う。
夢見病でさえなければ。
最近の恋愛映画は主人公が難病を患っている場合が多い。
それを否定するわけではないし、その内容で今という一瞬の大切さを学べるから良いものだとも思う。
でも、それはおそらく難病を患っていないから見られるものであり、特に死後の主人公の描写には心をえぐられる。
私の場合は、自分の未来を見ているようで。
そんな私は、最近は容体が安定していて、先日の通院では治験の効果が出ているのではないかと言われた。
その言葉に一喜一憂しているといつか痛い目に合うとは分かっていても、これには思わず安堵した。
それで、自分へのお祝いも込めて、星絆と出かける約束をした。
それに、これは星絆へのせめてもの償いでもある。
星絆にはいつも制限の中で楽しみを見つけてもらってばかりだ。
でも、私に残された時間であといくつ思い出を作れるかは分からない。
もっと二人の時間を作れたらいいのだけど、そのための体力と時間はもう残されていない。
夢見病に完治はないのだから。