きみの瞳に映る空が、永遠に輝きますように
ドーン。
入院初日の夜、その音は私を不快にさせた。
まだ消灯時間前だからか、院内には日中と変わらず明かりがついていて、花火にはしゃぐ声とそれを叱る声もかすかに聞こえてくる。
どうせここからでは音しか楽しめないのに、とボソッと呟いた。
私は、恒例となった音だけ花火を味わうのが嫌でヘッドフォンで周囲の声ごと遮断する。
毎年八月の中旬に開催される花火大会だったが、夢見病を患ってからは一度も見ていない。
毎回その直前に体調を崩し、入院をしていた。
はじめのうちは、来年こそは、と一層療養に力を入れていたのだが、それを何年も繰り返していくうちに花火に執着している自分が情けなく、そして、惨めに思えてきた。
遮断した本当の理由は、自分の惨めさをこれ以上痛感するのが嫌だったからだ。
ヘッドフォンをしたのはいいものの、音楽を再生すると、花火関連の曲がおすすめ欄に載ってきて不快だ。
夏が花火とイコール関係で認識されているのが気に食わない。
音楽を止めてラジオに変えてみると、それもまた花火についての話題でトークが繰り広げられていた。
それには耐えられなくなって、お笑い芸人がパーソナリティーのラジオ番組に変えた。
こういう時は笑って現実逃避をするのが最善策なのだろうが、今の私にはそれすらもできず、その番組を周囲の音を遮断する方法として利用した。
またいつか見たい、ではなく、花火自体が無くなればいいのに、とそんなことを思った。