きみの瞳に映る空が、永遠に輝きますように
透真くんからの返信はないまま、父との約束の日を迎えた。
「ねぇ、どこに行くの?」
「着いてからのお楽しみ」
へぇー、と父の顔を見回してそう言う。
父の運転で隣県の駐車場に着くと、車を降りて父に車いすに乗せてもらった。
それから5分ほど徒歩で行ってみたが、周囲には住宅街があるだけで父の目的がより一層掴めなくなる。
とはいえ、どこに行くのかを追求するのも父を不快にさせかねないから、敢えて黙っておくことにした。
「着いたよ」
父は車椅子を止め、チャイムを押すと、中から30代後半か40代前半とみられる男女が出てきた。
見覚えは無く、第一印象は、体育会系の二人だ。
「今日は突然ごめんね」
「いいですよ。それよりも蒼来ちゃんが大きくなりましたね」
「もう高校生だからね」
私を差し置いて男同士の会話が繰り広げられる。
何も分からずただその会話を聞いていると、男の人が口を開いた。
「とりあえず中に入ろうか」
そう言うと、慣れた手つきで段差解消スロープを設置し、車椅子を押して屋内に案内をしてくれた。
入って一番に目が行ったのは、入って右側に大きく構えていた数台のカメラだ。
カメラに詳しくなくても、それが高級品だと分かるし、それでここが写真館なのだと把握した。
2階が吹き抜けていて南向きの大きな窓からは自然光が入ってきていた。
その先にはウッドテラスが見えていて、緑が生い茂っている。
「挨拶が遅くなったね。俺はシン。お父さんと大学でサークルが一緒だったんだ」
「私は妻の恵理です」
「初めまして、蒼来です。いつも父がお世話になっています」
「いや、それはこっちの台詞だよ。今日はよろしくな」
「よろしくお願いします」
父と一緒に頭を下げ、上げたと同時にシンさんが口を開いた。
「本当に久しぶりですよね、数年前のサークルの飲み会以来ですか?」
「そうだな」
さっきから度々会話に出てくるサークルという言葉に反応する。
お父さんの過去の話は全く聞いたことがないから、中高、そして大学と、てっきり帰宅部だとばかり思っていた。
「お父さんってサークルに入っていたの?」
「一応な」
「一応って何ですか。サッカー部のエースだったじゃないですか」
「昔の話はいいよ」
「せっかくだからいいじゃないですか。蒼来ちゃんも知りたいよね?」
それにはすぐに、はい、と答えた。
これまで話してこなかった父の過去や新しい一面が見られるのではないか、と興味が湧いた。
それも、エースというのだから尚更気になってしまう。
「また今度な」
それには、シンさんと声を揃えて、えー、と言って父の顔をじろじろと見た。
父は、ちゃんと教えるから、と照れ臭そうにそう言った。
「じゃあ、早速撮りますか?」
シンさんの合図で恵理さんもスタンバイに向かった。
「悪いが、頼むわ」
「何を言っているんですか、2人とも一緒に撮るんですよ」
「そうだったな」
話に取り残されているが、何を記念に撮るのだろうか。
セットを見た感じは写真館だが、ここに足を運んだ目的が全く分からなかった。
「この格好でいいの?」
慌てて父に小声で聞いてみる。
フリルシャツの上からグレーのプルオーバーに黒のジーンズを身に付けているだけのシンプルな格好で写るのは少し気が引けた。
父もホワイトグレーの薄手のジャケットにジーンズを着ているだけのラフな格好だ。
写真を撮るというのなら、もう少しきっちりとした服装で来ればよかったと後悔する。
「あぁ、それがいいんだ」
「言ってくれればもっとお洒落したのに」
「十分お洒落だよ」
「じゃあ撮るよ」
それからは開き直ってシンさんと恵理さんに任せることにした。
どうせ形に残るならもっとお洒落して綺麗に撮ってもらいたかったけど、これが父の望みなら私はそれに応えるだけだ。
撮影中は車椅子を降りてしんどくなると父にもたれかかるようにして撮影を継続した。
「お父さんの表情が硬いですけど」
シンさんにツッコまれている父の顔を見ると、確かに表情が硬かった。
「しっかりしてよ」
思わず父の足を軽く叩き、一緒になって笑った。
その後も写真を撮り続けたが、なかなか父の表情が柔らかくはならず、何度も取り直した。
「ウッドテラスでも撮りますか?」
シンさんの提案に胸が躍る。
この場所に足を踏み入れた時からウッドデッキが気になっていた。
「ねぇ、撮りたい」
「せっかくだしお言葉に甘えてみようか」
父はすぐに賛成してくれた。
それと、そう言う私が父の目には、一瞬だけ幼少期に戻ったように映ったのか、心なしか父は一段と輝いた笑顔を見せた。
「ちょっと蒼来ちゃん借りますね」
シンさんは父に許可を取ってキッチンの奥の洋室に案内してくれた。
そこには大きな鏡や机上にはメイク用の道具が整頓されて置かれていた。
「やっぱりお洒落したいよね?」
シンさんは鏡越しに微笑む。
それに頷くと、そうだよね、とシンさんは言った。
車椅子に乗ったままメイクをしてもらえるというのが楽で良かった。
メイクはどういう風にしたいか、と聞かれたが、メイクに疎い私には何も分からず、おすすめでお願いします、と言った。
これを星絆に聞かれたら笑われるだろう。
まだメイクを勉強していなかったの、と。
まず、バレることはないと思うけど。
「お父さんの秘密を聞きたい?」
シンさんは私の前髪を上げながらそう言う。
それには、食いつき気味で、はい、と言った。
そして、メイクをしながら、内緒ね、と言って話し始めた。
「まずはサークルの話なんだけど、俺らの通っていた大学はサークル活動が活発ではなくて、人数が集まってなかったんだ。だから、俺の学年で誰かが入らないと試合にも出られない人数でね。それで、蒼来ちゃんのお父さんが必死になって声を掛けに回っていたよ」
そこまで聞いたところで信じられなくなる。
当時は父も若かったからかもしれないが、そんなことをする人だとは思えなかった。
どちらかと言えば、自分の殻の中に閉じこもるタイプだとばかり思っていた。
「それをきっかけに人助けのつもりで俺もお父さんと同じサークルに入ったんだ。未経験だったんだけど」
「動機が凄いですね」
「そうだね。それが、話を聞いてみると、お父さんはエースだったけど、元々は人員確保のために加入したらしいんだ。だけど毎日地道に練習しているうちにエースに匹敵する実力を手に入れたってわけ」
それを言い終えると、真面目さが滲み出ているよね、と笑った。
その理由が父とシンさんの仲を作ったともいえるだろう。
それを微笑ましく思った。
今も隠しきれない真面目さや真面目故に空ぶってしまう父を思うと、失礼だけども笑ってしまう。
「今日ここに来たのは、ずっと蒼来ちゃんと写真が撮りたかったからだって。だけど、それも言えなくて、蒼来ちゃんは突然連れ出されたんだよね?」
「はい、聞いても答えてくれなくて……。事前に言ってくれればもっとお洒落したのに、って思わず言ってしまいました」
「そっか。お父さんらしいかもね」
「大学の頃からそうだったんですか?」
「うん、良い意味で変わってないよ」
「良いんですかね?」
「良いんじゃない?何となくだけど」
よく分からないその返しには思わず笑った。
化粧筆の毛先が顔に当たってくすぐったい。
良い意味で変わっていない父に、今後もそのままの父であり続けてほしいと思った。
会話に夢中になっているといつの間にか別人の私が作られていた。
メイクでこんなにも変われるのか、と感動する。
今なら星絆が必死になって私にメイクを学ばせようとしていた理由が分かるような気がした。
「はい、こんな感じかな?」
「ありがとうございます」
「じゃあ行こうか」
「はい」
「どんな反応をすると思う?」
「無言になると思います」
「俺もそう思う」
父の反応に胸を躍らせながら部屋を出る。
父はリビングのソファに座って恵理さんと話をしていた。
それもあってか、こちらには気づいていない様子だ。
「お待たせしました」
シンさんの声に父も恵理さんも反応し、その瞬間、似合っているね、と恵理さんが言った。
父は案の定目を見開いて無言だった。
それは気に入らないからではなく、単に驚いて言葉が出ていないのだと予想はついていたから、嫌な気はしない。
そんな父の様子を見て、言ったとおりだったね、とシンさんが耳元で呟いた。
私は、そうですね、と返して微笑んだ。
そのままシンさんに車椅子を押してもらってウッドテラスに出る。
奥には金木犀が植えてあり、ほんの少しオリエンタルな香りに魅了される。
「じゃあ撮るよ」
撮影場所に行くや否やシンさんはそう言った。
父はまだ目を丸くしている。
さすがにそこまでくると真剣に心配になった。
「似合っているね」
「今言う?」
流石にそれには声を出して笑ってしまう。
加えて、タイミングの悪いことに、同時にシャッターを切る音がした。
「今の表情めっちゃよかったよ、何かあったの?」
どうやらシンさんには聞こえていないようだった。
なんでもないです、と恥ずかしながらにそう言い、また撮影に戻った。
娘からしてもこの父は可愛いと思った。
いい歳をした父に何を言っているのか、という話だけど。
ウッドテラスでの撮影を終えると、全ての撮影が終わった。
今日撮った写真はまた後日郵送してくれるらしい。
礼を言ってからその場を後にした。