溺愛もふもふ甘恋同居〜記憶喪失な彼のナイショゴト〜
 顔が見られなかったのは残念だが、そろそろ帰るかと思っていたら、「もしかして……立神(たつがみ)先生でいらっしゃいますか?」と斜め横手から声を掛けられた。

 伊達眼鏡と帽子で素性はバレにくくしていたつもりだったけれど、日和美(ひなみ)の職場――『三つ葉書店学園町店』では近々サイン会をすることになっている。

 信武(しのぶ)の顔を見知った店員がいても不思議ではない。

 視線を振り向ければ案の定、眼鏡越し。信武が見下ろした視線の先に、サイン会の担当窓口になってくれている女性店員が立っていた。

 普段のやり取りは大半を懇意(こんい)にしている編集に任せている信武だったけれど、一度だけ。
 まだ日和美がここへ勤め始める前、ここで眼前の彼女と顔合わせをしたことがある。

 名前は確か――。


「ああ、多賀谷(たがや)さん。お久しぶりです」

 即座に不破(よそいき)モードにシフトしてニコッと微笑んで見せたら、目の前の店員がポッと頬を赤く染めたのが分かった。

 顔合わせの際、初めましてをしたと同時、半ば食い気味に『私、立神信武先生の大ファンなんです!』と熱弁してくれた彼女は、確かに信武の著書をしっかりと読み込んでくれている、コアなファンだった。

 まさに、サイン会担当にふさわしい人選だろう。

 というか、今回のサイン会自体、彼女の熱意があってこそ実現したのだと、編集から聞かされている信武だ。


 サラサラの黒髪を後ろでバレッタ留めした多賀谷は、清潔感にあふれていたし、一般的に言えば美人の部類に入るだろう。

 だが、信武にとって、日和美以外はその他大勢に過ぎないのだ。

 例え家で【伸びきった学生時代のジャージ上下を部屋着にしていよう】とも、中身が日和美ならば可愛く見える自信があるのだから不思議だ。

(ま、実際見せてもらったことはねぇんだけどな)

 日和美は信武の前ではとても綺麗なパジャマを着ている。あれは恐らく不破(ふわ)と暮らすようになって新調したものに違いない。
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