溺愛もふもふ甘恋同居〜記憶喪失な彼のナイショゴト〜
「あの……今日はどうなさったんですか? もしかして……サイン会のことで何か気になることでも?」

 どこかつけ入る隙を探っているような、情欲に(うる)んだ瞳で、多賀谷(たがや)からソワソワと問い掛けられた信武(しのぶ)は、この様子だと下手に日和美(ひなみ)の名前を出すのはまずいなと瞬時に思いをめぐらせて。

 恋人の顔を見に来ただけです、と言う言葉はグッと飲み込むことにした。

 そう言うことはないと願いたいが、自分のせいで日和美に対する先輩店員らからの風当たりが変に強くなるリスクを冒すのは、極力避けたいではないか。

 先程喫茶店で手渡された紙袋をわざとらしく持ち替えると、「今日は全くのプライベートです」と【一線を引く】。

 作家にはよくあることだ。
 煮詰まったりしんどくなった時にふらりと散歩に出たりすることは――。

 立神(たつがみ)フリークだと熱弁した多賀谷なら、これで察してくれるんじゃないだろうか。

 そんな淡い期待を込めて告げたセリフだったのだけれど。


「あ、それはお邪魔しちゃ申し訳ないですね。――もし何かお困りのことがありましたら遠慮なくお声かけ下さい」

 幸い多賀谷は()をわきまえた人間だったから、あっさり引き下がってくれた。

 下手な相手だと信武がやんわり〝線引き〟してもズカズカと踏み込んでくる。

 そうなると〝()〟の口汚い自分を出してしまいそうになって非常によろしくないので、多賀谷のようにスッと引き下がってくれる人間は物凄く好感が持てる。

「有難うございます。サイン会、多賀谷さんのような素敵な女性に担当して頂けて、本当に良かったです。では――」

 そういう相手には少しだけリップサービスをしてやっても良い。
 ニコッと極上の王子様スマイルを投げかけると、信武は胸の所に片手を当てて(うやうや)しく一礼して、クルリと(きびす)を返した。
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