溺愛もふもふ甘恋同居〜記憶喪失な彼のナイショゴト〜
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 サイン会を終えて、とりあえず締め切りの近かったものを集中して書き終えた信武(しのぶ)は、茉莉奈(まりな)に原稿を手渡しながら手を差しだした。

「――?」

 キョトンとする茉莉奈へ、「鍵」と言ったら得心が言ったように「ああ」とつぶやかれた。

「サイン会の時見ただろ? 俺、あの子と真剣に付き合ってんだよ。だから――」

 このマンションの鍵を――例え身内とは言え――茉莉奈(日和美以外の女性)が持っているのはマズイ。

 そう言外に含めたら「もちろん返してもいいけど……金輪際(こんりんざい)連絡不通にして締め切りを破ったりしないって約束してくれる?」と鋭い目で見詰められた。

「もちろん事情は聞いてるし、束の間とは言え記憶喪失だったって言うのは不可抗力だったとも思う。――だけど」

 そこで言葉を区切った茉莉奈は、信武と、彼の背後にある銀ラメの施された小さな六角形の箱を交互に見遣る。

「ルティシアが死んでしまったのが辛かったのは分かる。でも、携帯を置いて……原稿をおざなりにしたまま逃亡したことは許せない」

 あの日、信武は愛犬ルティシア(ルティ)を失った悲しみから逃れたくて。
 彼女の火葬を済ませるなり、あえて携帯電話など、(しがらみ)になりそうなものを全て置いてふらりと家を出たのだ。

 マンションの鍵すら持っていたくなくて、部屋を施錠した後、下のポストへ落として出た。
 茉莉奈が持っている鍵はその時のもので、信武が今使っているのはスペアキー。


 そんな風に身一つになった信武が向かった先は、しんどい時、ずっと自分の心の支えになってくれていた日和美(ある女の子)の住まい。
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