溺愛もふもふ甘恋同居〜記憶喪失な彼のナイショゴト〜
***

 徒歩一〇分圏内の滅茶苦茶近い距離なのに、はやる気持ちが抑えられなくて、日和美(ひなみ)のことを車で迎えに来てしまった信武(しのぶ)だ。

「とりあえず乗れよ」

「は、はいっ。お邪魔します……。って、あ、あのっ、信武さんっ。く、靴はっ。靴は脱いだ方がいいですか?」

 アパート下に停めていた黒のSUV車の助手席ドアを開けて日和美を車内(なか)(いざな)ったら、シートへ中途半端に腰かけた状態で泣きそうな顔をした彼女から、困惑顔で見上げられてしまった。

 それもそのはず。

 信武の愛車は国産車の中ではそこそこに高級車に分類される、トミタ自動車レクアスの新車だったから。

 基本的にあまり車でどうこうすることはない信武だったが、別に運転が苦手なわけでも車を所持していなかったわけでもない。

 ただ、仕事に追われてなかなか乗る機会がなかっただけ。

 前の車の車検を機にこの車へ乗り替えて三ヶ月ちょい。
 考えてみれば、助手席に人を座らせたのは今回が初めてだった。

「そのままで構わねぇよ」

 新車特有の香りに(おび)えたのか、小動物みたいに瞳を揺らせる挙動不審な日和美のさまが可愛すぎて、つい口の端に笑みが浮かんでしまう。

 仕事で茉莉奈(まりな)と移動するときには彼女が手配した車に乗ってばかりだったし、本当にその必要がなかっただけなのだが、今日隣に日和美を乗せることになって、彼女が初めてで良かったとしみじみ実感しまくってしまった信武だ。

 そうして思った。

 ここに座らせるのは、今後もずっと日和美だけにしよう、と。


***


「おっ、お邪魔、しまっ……」

「バーカ。そんなに緊張すんなよ。俺まで息が詰まるだろーが」

 自宅マンションの玄関先。
 真新しい客用スリッパを出しながらククッと喉を鳴らしたら、日和美に泣きそうな顔でキッと睨まれてしまった。

「さ、さっきからあんなっ。私、生粋(きっすい)の庶民なんですっ。きっ、緊張しないでいるのとか、無理に決まってるじゃないですかっ!」

「生粋の庶民って……」

 日和美の言動がいちいちツボに入って、信武は思わず笑ってしまった。

 彼女を迎えに行くまではずっと。
 今から日和美にあれこれの真実をどう話すべきか思い悩んで胃が痛くなりそうだったのだが、今は不思議と穏やかな気持ちになれている。
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