それでも私は、あなたがいる未来を、描きたかった。
「先生……?」

音楽室のドアを開けながら、呼びかける。

「おお、吉川。ごめんな、急に」

授業の時は生徒が座る椅子で、腕を組みながら目を瞑っていた先生が、ゆっくりと目を開ける。

「別にいいけど、どうしたの? 珍しいじゃん」

「いやあ、実はさあ」

先生は立ち上がってから、大きく伸びをした。

「ここのところ、かなり激務でさ。ちょっと癒しが欲しいなあと思って」

年末は何かと忙しくてさ、と、先生が付け加える。

「やっぱり。先生、クマ出来ているもん」

「マジかあ、それは気づいていなかった」

「働き過ぎは厳禁だよ? 忙しいなら、私の成績表は作らなくて良いから」

「それはダメだろ」

やっといつも通り笑った先生に、少しだけ安心をする。

「それで? 何の曲、弾いてほしいの?」

鍵盤の蓋を開けながら尋ねる。

「あの先生が好きな曲?」

四者面談の時、庇ってくれたお礼に弾いてあげた曲。

きっとあの曲をリクエストするだろうなと思ったのに、先生の口からは「ううん」と否定の言葉が飛び出した。

「あのさ」

鍵盤の前に座った私の隣に、先生が立つ。

「俺が初めて、吉川がピアノを弾いていたところを見た日のこと、覚えている?」

「え、うん。覚えているよ」

先生に雑用を押し付けられて、イライラしながら教室へ向かっていた日。
たまたま音楽室に誰もいなくて、フラッと寄った日。

「じゃあ、あの時に弾いていた曲も、覚えている?」

「うん、覚えている」

春らしい穏やかな日差しに包まれているからこそ、“弾きたい”と思った曲。

「その曲、弾いてほしい」

「え、あの曲?」

先生を見上げる。

「あの曲、クラシックだよ……? いいの?」

先生、あんまりクラシックとか聞かなさそうーというか興味が無さそうーだけど。

「うん、あの曲が良い」

きっぱりと言い切る先生に、「それならいいけど」と答え、私は鍵盤へ向かった。


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