夜桜
間者
「椿!行くぞ!」
「はい!」
昼過ぎ、昨日と同じ装飾をした私は土方さんと一緒に島原へ向かった。
花街に行くのは初めてな故、どんな場所か想像ができない。
私が今後お世話になるその場所は、派手な門から始まっていた。
「ここが島原だ。男の楽園、女の地獄、夜の街。」
女の地獄と聞き、少し心の中にある不安が大きくなった。
「んな心配すんな。 俺がお前の安全を保障する。」
前を歩く土方さんが言った。
「ここだ。」
桜が散った木の下には、その花びらが沢山落ちていた。
「店主、土方です。」
土方さんが言うと、すぐに中へ通してくれた。
「なんの用にございましょ。」
「娘を少し借りたい。」
「何という娘ですやろ。」
「君菊。」
「かしこまりました。ちょいとここらでお待ちくんさい。」
昨日聞いた名前を言った土方さんは、私の背中を強く叩いた。
「土方様〜!ようこそおこしやす〜!」
店主に連れられ、奥から出てきた遊女は、頬を赤らめて土方さんの手を握った。
髪はおふく、色とりどりの着物に身を包んでいた麗人だった。
土方さんはその手を払った。
「どないしたん?うちに会いに来てくれはったん?」
「少し頼み事をしたくてな。」
「へえ、なんですやろ。 土方様の頼みならうち、何でも致しますわ。」
「場所を変えたい。店主、部屋はいいか?」
「客間がありますけえ、そちらにご案内させていただきますわ。」
私たちは客間に案内された。
その途中、強引に土方さんの腕に縋る君菊さんは私を睨んだ。
昨日の話もあり、彼女が土方さんのことを想っていることが確実になった。
大方、彼女が私のことを睨む理由は嫉妬であろう。
「それではごゆるりと。」
部屋に着き、店主が下がった。
君菊さんは土方さんにべったりだった。
土方さんは私と目が合うと舌を出した。
昨日の悪口もあり、土方さんが君菊さんを嫌っているのは確かだった。
「ほんに、久方振りのお越しどすなあ。お菊は寂しうございましたえ。・・そんで、この女は?」
土方さんは君菊さんを剥がし、離れた。
「こいつを新選組の間者として、ここに置いてほしい。こいつは男だ。女装をしているだけだ。」
「お、男!?」
素っ頓狂な声を上げる君菊さんに、私はなんとなく頭を下げた。
「そんなわけあらしまへんわな。嘘はあきまへんえ。」
「俺は生まれてこの方、嘘をついたことがない。」
予想外の土方さんの言葉に、私は思わず噴き出した。土方さんも苦笑いだった。
「土方様が言うなら……。ですがその代わりに、次にここにお越しの際には、今度こそうちを抱いておくんなんし。」
「ああ、抱くさ。」
下がかった話を目の前で繰り広げられ、私は目のやり場に困った。
「じゃ、契約は成立、か。ではこれから毎日この時間にこいつをここへ行かせる。こいつに踊りや三味線を教えてやってくれねえか?間者となるのはその後だ。誰がどう見ても芸子に見えるように、お前が教育してやってくれ。」
君菊さんは、私を見て頷いた。
「恩に着る。ではまた明日。」
土方さんはそそくさと店を後にした。
君菊さんは何か言いたげだったが、こらえている様子だった。私は君菊さんに一礼し、部屋を後にした。先を歩く土方さんは腕を払っていた。
「ああいう女はどうも苦手だ。」
「モテる人は大変ですね。 他の芸子さんも、土方さんに惚れてるんだとか。」
「誰から聞いた。」
「沖田さんです。」
「ったくあの野郎。あの女に抱かれるのならあの店にはもう行かねえな。」
「なんだか可哀そうですよ。何も、あんなお顔をなさらなくても。」
土方さんは再び腕を払った。
「思わせぶりをして女を傷つけるよりも、ばっさり嫌った方がいいと思うが?」
「まあ何とも土方さんらしい考え方ですが……。」
「そうだろう?」
悪戯げに笑う土方さんの横顔は、やはり悪いことを考えている顔だった。
「土方さんに泣かされた女は一体何人でしょうかね。」
「何か言ったか?」
「何も言ってません。」
土方さんは私の頬をつまんだ。
「いただだだだ。」
土方さんは笑って、歩く速度を速めた。 着物を着ている私にはまるで容赦無しだ。
「腹減ったな。蕎麦屋でも行くか。」
「あ!じゃあ昨日のお礼に私が代金を出します!」
土方さんはもっと歩く速度を速めた。
「俺が出す。」
足の速い土方さんに追いついたのは、彼が蕎麦屋に入り、先払いを済ませた後だった。
「ん、美味いな。」
前で蕎麦を綴る土方さんをじっと見た。
彼と目が合う。
「女に払わせる訳ないだろう。」
当たり前だという顔をする土方さんは、再び蕎麦を啜った。
「ご馳走様でした、土方さん。」
「ああ、また来よう。」