夜桜
彼女たちが生まれ育った土地は様々だった。
裕福な家庭ではあったが、両親が借金の肩代わりになり、一気に貧乏になってしまい、遊郭に売られた者。
兄弟が多く、家もそこまで裕福ではないため、自ら遊郭へ行き、遊女になった者。
決して遊女になりたいとい、ここに赴いた人間はいないと言った。
遊女というのは、要するに殿方の夜の相手 をする女の事。
それは分かっていたが、これほど酷なものは想像できなかった。
彼女達の仕事は、夜に始まる。客に酌をして、床入りをする。
客よりも遅く起きることは許されない。飯も質素なものどそう。
それが休みなく、毎日だ。
時に、客との床入りで失敗したり、遊郭から脱走しようとすれば、数々の拷問を受けるそうだ。
生かしておく程の命ではないと判断された場合は、殺される、とも。過労で倒れる遊女、病に伏せる遊女 と、三十になるまでに死ぬ遊女は後を絶たないそうだ。
人間として扱われていない、と君菊さんは言った。
「そんな地獄の様な生活が、いつまで続くかも予想できん中、何度死のう思ったことやら。せやけど、いつかうちを見受けしてくだはる殿方があると信じて、その夜を舞うんどす。」
見受け。 それは、大金を出して遊女を買うことだった。
見受けされた遊女はその殿方のもとで一生を終えることができる。
それが、この地獄から逃げることができる、唯一の手段だった。
だが、 見受けされる幸運な遊女はほんの一握り。
それ以外は、先程の例の どれかで死ぬ遊女がほとんどだった。
そんな、叶う可能性の低い夢を見続ける彼女達を見て、目の奥が熱くなるのを感じた。
必死に生きようとしている彼女達と同じ場所では働けない。
私は一瞬だが、そう思った。
だが、この役目は果たす。
だが、そんな思いを する彼女達は私がここにいる理由を聞いて何を思ったのだろうか。
小常さんの言動はごもっともだった。
「葵ちゃんが、どないしてここに来たのかは分かりまへんが、少しあの子の気持ちも分かってほしいんどす。」
「男からしたら、楽園かもしれまへんが、それにはこんな裏があったんどす。」
涙を流す彼女達に、私は何と声を掛けたらいいだろう。
私は、本当はここに来てはいけない必死に生きようとしている彼女達と、手柄のために潜入捜査をしに来た私は、同 じ場所に立てない。
君菊さんも、何と思っただろう。
いくら土方さんのお願いだとしても、いい気分にはなれなかったはずだ。
私は謝りたかった。だが、謝った方が彼女達には失礼な気がした。
この場にいる自分を、彼女達はどう思っているか、なんて考えたら、消えてしまいたくなる。
「葵。」
君菊さんは私の手を取り、庭へ連れ出した。 何を言われるのだろう。
緊張と不安で耐えきれなくなった私の顔を、君菊さんはそっと包んだ。
微笑む彼女の顔は、春の庭に舞う 蝶の如く、とても美しく儚いものだった。
「あんたはんは、京の都の治安を守るために、ここにいるんどすやろ?」
私は頷いた。
「ほんなら、そんな悲しい顔はやめておくれやす。うちらは、あんたはんに何にも怒ってなどありんせん。」
先程の緊張は何処へ行ってしまったのだろう。
君菊さんの優しさに包み込まれた私は、 ただ彼女の瞳を見ることしかできなかった。
「うちらは、この遊郭での厳しい現状を伝えたかっただけどす。よそから来たあんたはんに、ここのことをもっと知ってほしかったんどす。それはうちだけやのうて、他の姉さんだって同じ。うちらの哀れな、過酷な人生を、誰かに知ってほしかった。ただそれだけやさかい。こんなに深く考える子やとは思わんかって、こんなことを言いしたけど、こんな顔をされちゃ、うちも驚きました。土方様と似て、優しい方どすなあ。」
君菊さんは懐から小さい袋を取り出した。
「ちょいと、お口開けておくれやす。」
口を開けると、君菊さんはそれを口に入れた。その途端、優しい甘さが口いっぱいに広がった。
「これは……?」
ころころと口の中で転がしながら言った。
「飴玉。」
君菊さんは、小さい紙にそれを包み、私に渡した。
「祇園での土産で、先日お客からもらうたんどす。 沢山あるから、葵にもおすそわけや。」
綺麗な模様のその飴玉は、 桃色や青竹色、花葉色、浅葱色などの、奇麗なものだった。
「綺麗でっしゃろ?これは色。あんたはんの名前や。」
楽しそうに笑う君菊さんは、なんて心優しい人だろうと思った。
「おおきに、大事に食べさせていただきますわ。」
君菊さんは頷いて、中へ入ろうとした。
「そんで、あんたはん何や、隠し事をしてはりませんか?」
君菊さんは振り向かずに言った。
その鋭い声は、私に向けられていることは、確かなことだった。
先程の優しい声とはまるで違う。
初めて会った時、土方さんの腕を組んでいる時、私に向けた鋭い目つきを思い出す。
あの時の彼女の雰囲気と今の雰囲気は少し似ていた。背筋が凍るのを感じた。
「あんたはん、女やろ?」
君菊さんが振り向いた。その目はやはり、あの時の目だった。
私はそれを否定しようとしたが、 遮られてしまった。
「うちだって、何人もの男を相手にしてますの。 女に化けた男や言われましても、女に 化けた男に化けた女だということは分かりんすえ。」
君菊さんは私に近づいた。
私はとっさに頭を下げる。
「堪忍どす、このことは誰にも…」
私が言い終わる前に、君菊さんは両手で頬をパチンと叩いた。
だが叩いたという表現は、あまり相応しくないと言える。
君菊さんは、私の額と合わせ、こつんとお互いの額をぶつけた。
「から言ってくれるのを待っていたけど、ちょいとばかしこの口は堅く見えて。」
初めから気づかれていたのか。
女だということがばれてしまったのは、土方さん以外では初めてだった。同性の目はやはり鋭い。
「安心してくんさい。このことは他言無用。分かっておりんすえ。ただ、」
今度は私の顎を持ち上げた。
「土方様に好意なぞ、持っておらへんならの話ですけど。」
私は勢い良く首を横に振った。
「うちは性別は女どすが、それを偽ってまで共に仕事を遂げたい人がおりんす。 あの方は、とても尊敬に値する人物、そういった好意などは決して。」
君菊さんが土方さんを想う気持ちはとても強いものだと分かる。
「土方様は、私の全てです。 絶対に振り向いてもらい、必ず一緒になる、そんな夢を、見続けておりんした。土方様には嫌われておりんすけど、いつか必ず、再び……」
頬を赤らめて外を見る君菊さんは、純粋に恋をする、美しい女性だった。
性別を偽り、 刀を振るう私とは全く違う彼女に、少し見とれてしまった。
恋など今後私が体験するわけがない。
新選組と共に、命を懸けて戦う。
それができれば本望だ。
だが、恋愛とは何か、あまり考えたことがなかったため、私の頭の中にこの言葉が浮くのは、少し新鮮だった。
「恋とは、どんなものですか?」
「そうだすなあ、この人のためなら、命を捧げても構わない。 自分の全てが、彼によっ てできているもの。 もっと認めてもらいたい。 もっと一緒にいたい。 もっと彼のことを 知りたい。綺麗だと思ってもらいたい。そんなことを、一人の男性のために思う事どす。」
君菊さんが言う恋は、私が土方さんに対して思っている者も入っていた。
だが、私のこれは恋ではない。
根拠はないが、断言できる。
私は土方さんのことを、同じ新選組として、尊敬している。
君菊さんのこと言葉に少し考えることとなったが、私の考えていることは間違っていない。 その確信ができた。
「せやけど、うちは土方様に嫌われておりんす。 色々な理由がありんすけど、心のすれ違いで、こんなに胸が苦しくなるとは思ってもおりんせんどした。」
土方さんと君菊さんの間に何があったかは知らないが、君菊さんの悲しそうな顔を見て二人の仲を縮めたいと思った。
だが、いい迷惑と思われるのは避けたい。
土方さんも君菊さんも、私を取り巻く大切な人。悪く思われたくなかった。
部外者が首を突っ込むことはない。
私は私情を捨て、ただ二人が良好関係になることを祈るばかりであった。
「恋、というもの、それはうちは体験したことはありんせん。きっとこの先もそれは同じですが、 姉さんの顔を見て、話を聞いて、恋というものは、とても楽しいものだと思いんす。 一度きりのこの人生、楽しまなければなりんせん。君菊はんの恋、応援いたしますわ。」
君菊さんの顔がどんどん晴れ、私の手を握った。
「ほんま?応援してくれはるん?」
輝く目を前に、私は大きく頷いた。
「葵が応援してくれるなんて嬉しいわあ。 もっとうちも頑張りまへんと!」
私の手を握る君菊さんの手は暖かく、彼女の体温を感じさせた。
裕福な家庭ではあったが、両親が借金の肩代わりになり、一気に貧乏になってしまい、遊郭に売られた者。
兄弟が多く、家もそこまで裕福ではないため、自ら遊郭へ行き、遊女になった者。
決して遊女になりたいとい、ここに赴いた人間はいないと言った。
遊女というのは、要するに殿方の夜の相手 をする女の事。
それは分かっていたが、これほど酷なものは想像できなかった。
彼女達の仕事は、夜に始まる。客に酌をして、床入りをする。
客よりも遅く起きることは許されない。飯も質素なものどそう。
それが休みなく、毎日だ。
時に、客との床入りで失敗したり、遊郭から脱走しようとすれば、数々の拷問を受けるそうだ。
生かしておく程の命ではないと判断された場合は、殺される、とも。過労で倒れる遊女、病に伏せる遊女 と、三十になるまでに死ぬ遊女は後を絶たないそうだ。
人間として扱われていない、と君菊さんは言った。
「そんな地獄の様な生活が、いつまで続くかも予想できん中、何度死のう思ったことやら。せやけど、いつかうちを見受けしてくだはる殿方があると信じて、その夜を舞うんどす。」
見受け。 それは、大金を出して遊女を買うことだった。
見受けされた遊女はその殿方のもとで一生を終えることができる。
それが、この地獄から逃げることができる、唯一の手段だった。
だが、 見受けされる幸運な遊女はほんの一握り。
それ以外は、先程の例の どれかで死ぬ遊女がほとんどだった。
そんな、叶う可能性の低い夢を見続ける彼女達を見て、目の奥が熱くなるのを感じた。
必死に生きようとしている彼女達と同じ場所では働けない。
私は一瞬だが、そう思った。
だが、この役目は果たす。
だが、そんな思いを する彼女達は私がここにいる理由を聞いて何を思ったのだろうか。
小常さんの言動はごもっともだった。
「葵ちゃんが、どないしてここに来たのかは分かりまへんが、少しあの子の気持ちも分かってほしいんどす。」
「男からしたら、楽園かもしれまへんが、それにはこんな裏があったんどす。」
涙を流す彼女達に、私は何と声を掛けたらいいだろう。
私は、本当はここに来てはいけない必死に生きようとしている彼女達と、手柄のために潜入捜査をしに来た私は、同 じ場所に立てない。
君菊さんも、何と思っただろう。
いくら土方さんのお願いだとしても、いい気分にはなれなかったはずだ。
私は謝りたかった。だが、謝った方が彼女達には失礼な気がした。
この場にいる自分を、彼女達はどう思っているか、なんて考えたら、消えてしまいたくなる。
「葵。」
君菊さんは私の手を取り、庭へ連れ出した。 何を言われるのだろう。
緊張と不安で耐えきれなくなった私の顔を、君菊さんはそっと包んだ。
微笑む彼女の顔は、春の庭に舞う 蝶の如く、とても美しく儚いものだった。
「あんたはんは、京の都の治安を守るために、ここにいるんどすやろ?」
私は頷いた。
「ほんなら、そんな悲しい顔はやめておくれやす。うちらは、あんたはんに何にも怒ってなどありんせん。」
先程の緊張は何処へ行ってしまったのだろう。
君菊さんの優しさに包み込まれた私は、 ただ彼女の瞳を見ることしかできなかった。
「うちらは、この遊郭での厳しい現状を伝えたかっただけどす。よそから来たあんたはんに、ここのことをもっと知ってほしかったんどす。それはうちだけやのうて、他の姉さんだって同じ。うちらの哀れな、過酷な人生を、誰かに知ってほしかった。ただそれだけやさかい。こんなに深く考える子やとは思わんかって、こんなことを言いしたけど、こんな顔をされちゃ、うちも驚きました。土方様と似て、優しい方どすなあ。」
君菊さんは懐から小さい袋を取り出した。
「ちょいと、お口開けておくれやす。」
口を開けると、君菊さんはそれを口に入れた。その途端、優しい甘さが口いっぱいに広がった。
「これは……?」
ころころと口の中で転がしながら言った。
「飴玉。」
君菊さんは、小さい紙にそれを包み、私に渡した。
「祇園での土産で、先日お客からもらうたんどす。 沢山あるから、葵にもおすそわけや。」
綺麗な模様のその飴玉は、 桃色や青竹色、花葉色、浅葱色などの、奇麗なものだった。
「綺麗でっしゃろ?これは色。あんたはんの名前や。」
楽しそうに笑う君菊さんは、なんて心優しい人だろうと思った。
「おおきに、大事に食べさせていただきますわ。」
君菊さんは頷いて、中へ入ろうとした。
「そんで、あんたはん何や、隠し事をしてはりませんか?」
君菊さんは振り向かずに言った。
その鋭い声は、私に向けられていることは、確かなことだった。
先程の優しい声とはまるで違う。
初めて会った時、土方さんの腕を組んでいる時、私に向けた鋭い目つきを思い出す。
あの時の彼女の雰囲気と今の雰囲気は少し似ていた。背筋が凍るのを感じた。
「あんたはん、女やろ?」
君菊さんが振り向いた。その目はやはり、あの時の目だった。
私はそれを否定しようとしたが、 遮られてしまった。
「うちだって、何人もの男を相手にしてますの。 女に化けた男や言われましても、女に 化けた男に化けた女だということは分かりんすえ。」
君菊さんは私に近づいた。
私はとっさに頭を下げる。
「堪忍どす、このことは誰にも…」
私が言い終わる前に、君菊さんは両手で頬をパチンと叩いた。
だが叩いたという表現は、あまり相応しくないと言える。
君菊さんは、私の額と合わせ、こつんとお互いの額をぶつけた。
「から言ってくれるのを待っていたけど、ちょいとばかしこの口は堅く見えて。」
初めから気づかれていたのか。
女だということがばれてしまったのは、土方さん以外では初めてだった。同性の目はやはり鋭い。
「安心してくんさい。このことは他言無用。分かっておりんすえ。ただ、」
今度は私の顎を持ち上げた。
「土方様に好意なぞ、持っておらへんならの話ですけど。」
私は勢い良く首を横に振った。
「うちは性別は女どすが、それを偽ってまで共に仕事を遂げたい人がおりんす。 あの方は、とても尊敬に値する人物、そういった好意などは決して。」
君菊さんが土方さんを想う気持ちはとても強いものだと分かる。
「土方様は、私の全てです。 絶対に振り向いてもらい、必ず一緒になる、そんな夢を、見続けておりんした。土方様には嫌われておりんすけど、いつか必ず、再び……」
頬を赤らめて外を見る君菊さんは、純粋に恋をする、美しい女性だった。
性別を偽り、 刀を振るう私とは全く違う彼女に、少し見とれてしまった。
恋など今後私が体験するわけがない。
新選組と共に、命を懸けて戦う。
それができれば本望だ。
だが、恋愛とは何か、あまり考えたことがなかったため、私の頭の中にこの言葉が浮くのは、少し新鮮だった。
「恋とは、どんなものですか?」
「そうだすなあ、この人のためなら、命を捧げても構わない。 自分の全てが、彼によっ てできているもの。 もっと認めてもらいたい。 もっと一緒にいたい。 もっと彼のことを 知りたい。綺麗だと思ってもらいたい。そんなことを、一人の男性のために思う事どす。」
君菊さんが言う恋は、私が土方さんに対して思っている者も入っていた。
だが、私のこれは恋ではない。
根拠はないが、断言できる。
私は土方さんのことを、同じ新選組として、尊敬している。
君菊さんのこと言葉に少し考えることとなったが、私の考えていることは間違っていない。 その確信ができた。
「せやけど、うちは土方様に嫌われておりんす。 色々な理由がありんすけど、心のすれ違いで、こんなに胸が苦しくなるとは思ってもおりんせんどした。」
土方さんと君菊さんの間に何があったかは知らないが、君菊さんの悲しそうな顔を見て二人の仲を縮めたいと思った。
だが、いい迷惑と思われるのは避けたい。
土方さんも君菊さんも、私を取り巻く大切な人。悪く思われたくなかった。
部外者が首を突っ込むことはない。
私は私情を捨て、ただ二人が良好関係になることを祈るばかりであった。
「恋、というもの、それはうちは体験したことはありんせん。きっとこの先もそれは同じですが、 姉さんの顔を見て、話を聞いて、恋というものは、とても楽しいものだと思いんす。 一度きりのこの人生、楽しまなければなりんせん。君菊はんの恋、応援いたしますわ。」
君菊さんの顔がどんどん晴れ、私の手を握った。
「ほんま?応援してくれはるん?」
輝く目を前に、私は大きく頷いた。
「葵が応援してくれるなんて嬉しいわあ。 もっとうちも頑張りまへんと!」
私の手を握る君菊さんの手は暖かく、彼女の体温を感じさせた。