夜桜
「失礼いたします。ようおいでにならはりました。殿方のお相手をさせていただきます、葵でございます。 どうぞ、よろしゅうおくんなまし。」
私は敵の懐に潜り込み、調査を開始した。目の前には、長州の連中が大部屋にずらりと並んでいる。全員新選組の敵だ。
今すぐ斬り殺したいところだが、その気持ちをおさえ、 頭の前へと移動した。
「葵と申したな。初めて見る顔だ、美しい。」
「へえ、ここに来たばかりで慣れておらへんのどすけど、どうぞよろしゅう。」
私は早速、杯に酒を注いだ。
この団体の要の男だ。
古高俊太郎と言ったか。
長州藩大元締として諸大名や公家の屋敷に出入りし、情報活動と武器調達にあたっていた。
山崎さんの情報からしてこの先、こいつと新選組がぶつかるのは目に見えていた。
細い目元で古高は私の顔を覗き込んだ。
「いい女じゃあないか。」
にんまりと笑う奴を見て、顔が引きつったのを自分で感じた。
「俺の妻になるか?」
手を取られ、それを握る古高。叶うなら今すぐ奴を斬り殺したい。いや、その時はいつ か必ず来る。
新選組の手で葬ってやる。
そのためにまず私がするべきこと。それが明確になった今、私は奴の手を握った。
「ささ、お呑みになってくんさい。今宵は随分と長いものになりますえ。だって……古高様とうちの出会いの夜どすから。」
私の言葉に古高は口角を上げた。好きでもない相手にこんなことをするなんて不愉快だ が、新選組のため、 こうするしかない。私は腹をくくった。
「さあさあ古高さん!頭の貴方には音頭を取っていただかないと!」
周りの人間が、奴を囃し立てる。
「幕府を倒して天皇中心の政治体制をつくるため、都に参った我ら攘夷志士!倒幕運動を続け、尊王を掲げる!そのためにはまず、幕府側の人間!これを滅する!我らの光る道!これを皆で歩いて行こうではないか!」
歓声が上がった。短気の土方さんがもしこの場にいれば、容赦なく斬っていただろう。
私は、目の前で尊王攘夷と名乗りを上げた敵が憎くて仕方がなかった。
「我々の希望ある道に!乾杯!」
また歓声が上がった。 古高は誇らしげに笑い、座った。
私を見て口角を上げる。
私が新選組の間者だなんて、思ってもいないだろう。
君菊さんから教わった色仕掛けを使い、 さっさと企みを暴き、死んでもらおう。
こいつの命は、時間を増すごとに短くなっていく。
獲物を目の前に、それをじっくりと味わう。
食すのはその後。 古高は酒を一気に飲み干し、もう杯と所望した。
目の前のご馳走には目もくれず、舐めるように私を見た。
「古高様は、とっても偉いお武家はんの方なんどすやろ?すごいわあ、古高様の話、もっと聞きたいわぁ。」
首を傾げ、上目で奴を見る。
君菊さんの色仕掛けの効果は絶大だった。 古高は私に耳打ちをした。
今宵は派手な夜になりそうだ、と。
まあ何とも色気のない誘い方だった。私も奴に耳打ちをする。
今宵は沢山楽しみまひょ、と。
今夜必ず、私に付け込んできた奴 に吐かせる。
私は口角を上げた。
私は床入りの経験がないため、今夜が初めての夜になるかもしれない。
こんな奴が私の初めてになるなんて、思うだけでぞっとする。
だが、それをすることで、絶大な信頼を得ることができる。
それさえ乗り越えれば、それ相応の結果があげられる。
絶対に私に惚れてもらう。
そして、たっぷり吐いてもらい、死ん でもらう。
作戦は現在執行中、仕込みは上場。 今夜はどんなことを聞けるだろうか。 たんと呑ませ、酔わせてしまおう。
私は再び、彼の杯に酒を注いだ。
「新選組の奴らは京でも嫌われている。あいつらの言うことは、犬でも聞かぬだろうな。」
「先日殺された我らの同胞の者も、奴らに殺された。あんなむごいことに…無念だったろう。この敵、必ず取る!」
「新選組、近藤、土方、沖田、永倉、斎藤、新選組内での強者は、以下五人だと知らせ れていますが、先日殺された我が同胞は、その五人ではなかったらしいです。」
「何?それは誠か!」
「新入隊士でしょうか、噂では、相当腕の立つ剣士だと。私の兄さんも奴に殺されました。この無念、何としてでも…!」
その敵が目の前にいることを知ったら、奴らはどうなることやら。いや、雑魚揃いの連中だ。
この人数、私一人で事足りる。奴らの会話を聞きながら、古高の酌をした。
「ささ、これより芸子の舞をご覧になってもらいまひょ。」
親方の発言に、部屋にいる芸子が立ち上がった。私もそうする。古高の前へ行き、頭を下げる。
「これより、葵の舞をご覧になってもらいまひょ。 この娘の初舞台やさかい、どうぞ楽しんでくだはい。」
親方の発言と同時に、三味線や太鼓、琴が鳴った。
私は修行で得た舞を披露した。
古高 は私を見て頬を赤らめていた。完全に私に惚れていた。
ちょろいものだった。魚が罠にかかった今、これを取り逃がすわけにはいかない。ここからは慎重に行動するべきだ。
「よっ!葵ちゃんあっぱれ!」
舞が終わると、古高は私の手を引いて別室へ向かった。
「古高さん、本気ですね。」
「あれは完全に見とれているな。」
そんな部下達の会話を片耳で聞きながら、これから起こるであろう事を想像する。
前を歩く古高は、私のことを離すまいと、その握る手には力が込められている。
部屋へ入り、 私はどっしりと座る古高の隣に座った。
隣の部屋へと続く襖が少し開いている。
中を伺うと、布団一つに枕が二つ。 分かってはいたものの、少し怖かった。
古高は女中を呼び、 酒を用意しろと命令した。
酒が届き、私は古高に酌をしていた。
「俺が何の為に尊王を掲げているか、知っているか?」
いきなり仕事の話をしようとする古高は、赤い顔で言った。
多く飲んでいる為、酔っぱらっている。呂律も上手く回っていない。
「いえ…」
「知りたいか?俺の事。」
一気に近寄ってくるのだから驚いたが、それを隠して古高の頬に手を当てた。
「教えてくんさい。 あんたはんの事全て……」
古高は口角を上げ、にんまりと笑った。
「俺らには、主がいた。人が良くて、気さくで、皆から好かれ、剣の腕も強者、勉も立つ人だった。だが、その人は突然、何者かに殺された。我々の主を殺した罪は大きい。憎くて仕方がなかった。だが、いくら探してもその犯人は出てこなかった。そんなことはおろか、手掛かりさえつかめない。悔しくて、眠れなかったよ。」
古高は、酔っているにも関わらず、きちんと整った呂律で話し出した。
仕事のこととなれば、真面目らしい。
畳に向けられた真剣な眼差しがその証拠だった。
「殺人とは、どんなに恐ろしいものか。その人の命を奪い、その人を囲う周囲の人間が悲しむ。どんなに残酷なのだろう、と思った。それを容易くする人間が許さない。そう思った。
……主は、元々幕府のやり方に不満を持っていた。政治の話をする際も、幕府のやり方が不満だ、もっといい策がある、などと、そんなことを言いまわっていた。
そんなの話を耳にしたのが、幕府側の人間だったのかもな。対立するのは当たり前だっただろうさ。
そこまでは理解できる。
だが、対立したくらいで殺すことはないだろう?
された主の変わり果てた姿を見て思った。なんて残酷なんだろうと。
主を殺した奴が目の前にいたら言ってやりたい。
和睦の道はなかったのか。自分の手を血で染めて、人を殺めて、何かが変わるか?と。だが、俺も人を殺したことがある。もうこの手は血に染まってしまったんだ。」
古高は自分の手を震わせて言った。 古高の言っていることは、私も十分に分かる。
こいつの言っていることは間違ってはいないと思う。
だが、それ以上に強い意志があるからそれがあることも、私は知っている。
決して譲れないものがある。
自分や仲間の考えを尊重し、夢を成し遂げるには、そうするしか手がないことも知っている。
やむを得ない行動だということは分かっている。
だが、自分の道を自分で導く者は、必ず自分の手を 血で染めなければならない。
これは、夢を追う者が必ず思うことだ。
誰もが通る道。だが、これを乗り越えれば、今までなかった強さを手に入れる。
そのことは、古高も知っているはず。
「俺は、亡き主の無念を晴らしたい。 主の思いを受け継ぎ、主の夢を叶えて見せたい。お前は見ていてくれ。俺たちが作り上げる世界を。この日本を変えて見せる。」
古高は、部屋に差し込む月光に視線を向けた。
月光に照らされる真っ直ぐな瞳。
私はこれを知っている。
土方さんも同じ目をしていた。
立場や考えは違えど、志を持ち生きる者の瞳は同じものだ。
そして、この瞳は、私も持っているものだ。
「お前は、夢があるのか?」
月を眺める古高は視線を変えずに言った。
「夢…どすか…」
土方さんのそばで刀を振り、新選組を大きいものにしたい。
そして。 近藤局長と土方さんを天下の大名にする。 これが私の夢だった。
「そうどすなぁ……」
私は、この現状に相応しい答えを導き出すために頭を絞った。
「平和な世どすなあ。」
平和。 この文久の時代に、その言葉は合っていなかった。
だが、殺さなくてもいいなら殺したくない。
だが、敵がこちらに刀を向けるから戦となる。お互いにそう思っているから殺し合いが絶えない。これが現実だ。
「いつか、平和な世が訪れればいいな。俺もそう思う。本当は、人なんか殺したくない。それは、あいつらだって思っているはずだ。」
「あいつら?」
「新選組や、京都見回り組の連中のことだ。人斬り集団なんか言われているが、奴らも こんなことはしたくなかっただろうよ。」
きっと土方さんも、皆も、同じことを思っているはずだ。
まともな人間なら、誰だってそう思うだろう。
古高の考えはまともだった。
敵ではあるが、同じ考えを持つことを知り、少し親近感が湧いた。
「さて、と。」
古高は残った酒を全て飲み干し、私の腰に手を回した。
突き飛ばしたい気持ちを抑えながら、私は古高の手を握った。
「そろそろ頃合い、か。」
きた。
隣の部屋へ向かおうとする古高は、私の手を固く握り、離さない。
分かってはいたものの、やはり怖かった。
「なあ、葵。」
「へえ、なんですやろ?」
「手が震えておる。何も、緊張することはないぞ。俺だって経験を積んでいる。 安心したまえ。」
生々しい言葉が、より私を緊張させた。
その時、 古高がばたりと音を立てて倒れた。
「え?」
思わず素っ頓狂な声を上げた自分の目の前には、大きくいびきをかいた吉高がいた。
「寝てる……?」
どうして?
すると、私の質問に答えるかのように、山崎さんが天井から降りてきた。
「奴の酒に睡眠薬を盛ったんや。 これのお陰で一晩中寝るやろう。」
山崎さんは、睡眠薬が入っているであろう包み紙を持ち、ひらひらとちらつかせた。
「こんな奴に抱かれるんなら、死んだ方がマシやろ。」
古高を睨みつけた山崎さんは私の手を取り、隣の部屋へと移動した。
「ここには誰もこうへん。少し休みや。」
「おおきに、山崎はん、あんたはんがおらんかったら、うち、今頃…」
考えただけで身の毛がよだつ。
「副長からの命やねん。」
「え?」
「男やってばれたら、元も子もないやんか。 それに、あんたが怖い思いせえへんように、って。副長はああ見えて優しいねん。」
「……知ってます。」
私は土方さんに、心の中で何度もお礼を言った。あの人の優しさを、身をもって感じた。
「今日はお疲れやね。 ゆっくり休みや。 帰りの手配してくるわ。」
「へえ、おおきに。」
今日一日だけが任務じゃない。
古高を殺すまで、この任務は終わらない。
今日の獲物は 高の志決して安易に尊王攘夷を掲げてはいないらしい。
古高の覚悟の強さが分かった以上、そこから仕事に対する忠誠心や性格の予想がつく。
新選組にできるだけ有力な情報を流す。
この姿の私に全てを吐かせ、死んでもらう。
私は古高が眠る隣の部屋を見た。
まさかこの私が、新選組の間者だなんて思ってもみないだろう。
このままいいように事が進んでいくのを待つのみ。
完全に私に惚れさせたところで、地獄に落としいれることに、私は何も罪悪感はなかった。
新選組のためにもっともっと、私の働きを反映させたい。
古高は、また明日もここに来るだろう。
そしてまた、こちら側に情報を流してもらう。
間違いない。断言できる。
全てにおいて、こちら側の大勝利だ。 私は今後の動きを慎重にしなくてはならない。
今一度、気を引き締めなければ。
私は敵の懐に潜り込み、調査を開始した。目の前には、長州の連中が大部屋にずらりと並んでいる。全員新選組の敵だ。
今すぐ斬り殺したいところだが、その気持ちをおさえ、 頭の前へと移動した。
「葵と申したな。初めて見る顔だ、美しい。」
「へえ、ここに来たばかりで慣れておらへんのどすけど、どうぞよろしゅう。」
私は早速、杯に酒を注いだ。
この団体の要の男だ。
古高俊太郎と言ったか。
長州藩大元締として諸大名や公家の屋敷に出入りし、情報活動と武器調達にあたっていた。
山崎さんの情報からしてこの先、こいつと新選組がぶつかるのは目に見えていた。
細い目元で古高は私の顔を覗き込んだ。
「いい女じゃあないか。」
にんまりと笑う奴を見て、顔が引きつったのを自分で感じた。
「俺の妻になるか?」
手を取られ、それを握る古高。叶うなら今すぐ奴を斬り殺したい。いや、その時はいつ か必ず来る。
新選組の手で葬ってやる。
そのためにまず私がするべきこと。それが明確になった今、私は奴の手を握った。
「ささ、お呑みになってくんさい。今宵は随分と長いものになりますえ。だって……古高様とうちの出会いの夜どすから。」
私の言葉に古高は口角を上げた。好きでもない相手にこんなことをするなんて不愉快だ が、新選組のため、 こうするしかない。私は腹をくくった。
「さあさあ古高さん!頭の貴方には音頭を取っていただかないと!」
周りの人間が、奴を囃し立てる。
「幕府を倒して天皇中心の政治体制をつくるため、都に参った我ら攘夷志士!倒幕運動を続け、尊王を掲げる!そのためにはまず、幕府側の人間!これを滅する!我らの光る道!これを皆で歩いて行こうではないか!」
歓声が上がった。短気の土方さんがもしこの場にいれば、容赦なく斬っていただろう。
私は、目の前で尊王攘夷と名乗りを上げた敵が憎くて仕方がなかった。
「我々の希望ある道に!乾杯!」
また歓声が上がった。 古高は誇らしげに笑い、座った。
私を見て口角を上げる。
私が新選組の間者だなんて、思ってもいないだろう。
君菊さんから教わった色仕掛けを使い、 さっさと企みを暴き、死んでもらおう。
こいつの命は、時間を増すごとに短くなっていく。
獲物を目の前に、それをじっくりと味わう。
食すのはその後。 古高は酒を一気に飲み干し、もう杯と所望した。
目の前のご馳走には目もくれず、舐めるように私を見た。
「古高様は、とっても偉いお武家はんの方なんどすやろ?すごいわあ、古高様の話、もっと聞きたいわぁ。」
首を傾げ、上目で奴を見る。
君菊さんの色仕掛けの効果は絶大だった。 古高は私に耳打ちをした。
今宵は派手な夜になりそうだ、と。
まあ何とも色気のない誘い方だった。私も奴に耳打ちをする。
今宵は沢山楽しみまひょ、と。
今夜必ず、私に付け込んできた奴 に吐かせる。
私は口角を上げた。
私は床入りの経験がないため、今夜が初めての夜になるかもしれない。
こんな奴が私の初めてになるなんて、思うだけでぞっとする。
だが、それをすることで、絶大な信頼を得ることができる。
それさえ乗り越えれば、それ相応の結果があげられる。
絶対に私に惚れてもらう。
そして、たっぷり吐いてもらい、死ん でもらう。
作戦は現在執行中、仕込みは上場。 今夜はどんなことを聞けるだろうか。 たんと呑ませ、酔わせてしまおう。
私は再び、彼の杯に酒を注いだ。
「新選組の奴らは京でも嫌われている。あいつらの言うことは、犬でも聞かぬだろうな。」
「先日殺された我らの同胞の者も、奴らに殺された。あんなむごいことに…無念だったろう。この敵、必ず取る!」
「新選組、近藤、土方、沖田、永倉、斎藤、新選組内での強者は、以下五人だと知らせ れていますが、先日殺された我が同胞は、その五人ではなかったらしいです。」
「何?それは誠か!」
「新入隊士でしょうか、噂では、相当腕の立つ剣士だと。私の兄さんも奴に殺されました。この無念、何としてでも…!」
その敵が目の前にいることを知ったら、奴らはどうなることやら。いや、雑魚揃いの連中だ。
この人数、私一人で事足りる。奴らの会話を聞きながら、古高の酌をした。
「ささ、これより芸子の舞をご覧になってもらいまひょ。」
親方の発言に、部屋にいる芸子が立ち上がった。私もそうする。古高の前へ行き、頭を下げる。
「これより、葵の舞をご覧になってもらいまひょ。 この娘の初舞台やさかい、どうぞ楽しんでくだはい。」
親方の発言と同時に、三味線や太鼓、琴が鳴った。
私は修行で得た舞を披露した。
古高 は私を見て頬を赤らめていた。完全に私に惚れていた。
ちょろいものだった。魚が罠にかかった今、これを取り逃がすわけにはいかない。ここからは慎重に行動するべきだ。
「よっ!葵ちゃんあっぱれ!」
舞が終わると、古高は私の手を引いて別室へ向かった。
「古高さん、本気ですね。」
「あれは完全に見とれているな。」
そんな部下達の会話を片耳で聞きながら、これから起こるであろう事を想像する。
前を歩く古高は、私のことを離すまいと、その握る手には力が込められている。
部屋へ入り、 私はどっしりと座る古高の隣に座った。
隣の部屋へと続く襖が少し開いている。
中を伺うと、布団一つに枕が二つ。 分かってはいたものの、少し怖かった。
古高は女中を呼び、 酒を用意しろと命令した。
酒が届き、私は古高に酌をしていた。
「俺が何の為に尊王を掲げているか、知っているか?」
いきなり仕事の話をしようとする古高は、赤い顔で言った。
多く飲んでいる為、酔っぱらっている。呂律も上手く回っていない。
「いえ…」
「知りたいか?俺の事。」
一気に近寄ってくるのだから驚いたが、それを隠して古高の頬に手を当てた。
「教えてくんさい。 あんたはんの事全て……」
古高は口角を上げ、にんまりと笑った。
「俺らには、主がいた。人が良くて、気さくで、皆から好かれ、剣の腕も強者、勉も立つ人だった。だが、その人は突然、何者かに殺された。我々の主を殺した罪は大きい。憎くて仕方がなかった。だが、いくら探してもその犯人は出てこなかった。そんなことはおろか、手掛かりさえつかめない。悔しくて、眠れなかったよ。」
古高は、酔っているにも関わらず、きちんと整った呂律で話し出した。
仕事のこととなれば、真面目らしい。
畳に向けられた真剣な眼差しがその証拠だった。
「殺人とは、どんなに恐ろしいものか。その人の命を奪い、その人を囲う周囲の人間が悲しむ。どんなに残酷なのだろう、と思った。それを容易くする人間が許さない。そう思った。
……主は、元々幕府のやり方に不満を持っていた。政治の話をする際も、幕府のやり方が不満だ、もっといい策がある、などと、そんなことを言いまわっていた。
そんなの話を耳にしたのが、幕府側の人間だったのかもな。対立するのは当たり前だっただろうさ。
そこまでは理解できる。
だが、対立したくらいで殺すことはないだろう?
された主の変わり果てた姿を見て思った。なんて残酷なんだろうと。
主を殺した奴が目の前にいたら言ってやりたい。
和睦の道はなかったのか。自分の手を血で染めて、人を殺めて、何かが変わるか?と。だが、俺も人を殺したことがある。もうこの手は血に染まってしまったんだ。」
古高は自分の手を震わせて言った。 古高の言っていることは、私も十分に分かる。
こいつの言っていることは間違ってはいないと思う。
だが、それ以上に強い意志があるからそれがあることも、私は知っている。
決して譲れないものがある。
自分や仲間の考えを尊重し、夢を成し遂げるには、そうするしか手がないことも知っている。
やむを得ない行動だということは分かっている。
だが、自分の道を自分で導く者は、必ず自分の手を 血で染めなければならない。
これは、夢を追う者が必ず思うことだ。
誰もが通る道。だが、これを乗り越えれば、今までなかった強さを手に入れる。
そのことは、古高も知っているはず。
「俺は、亡き主の無念を晴らしたい。 主の思いを受け継ぎ、主の夢を叶えて見せたい。お前は見ていてくれ。俺たちが作り上げる世界を。この日本を変えて見せる。」
古高は、部屋に差し込む月光に視線を向けた。
月光に照らされる真っ直ぐな瞳。
私はこれを知っている。
土方さんも同じ目をしていた。
立場や考えは違えど、志を持ち生きる者の瞳は同じものだ。
そして、この瞳は、私も持っているものだ。
「お前は、夢があるのか?」
月を眺める古高は視線を変えずに言った。
「夢…どすか…」
土方さんのそばで刀を振り、新選組を大きいものにしたい。
そして。 近藤局長と土方さんを天下の大名にする。 これが私の夢だった。
「そうどすなぁ……」
私は、この現状に相応しい答えを導き出すために頭を絞った。
「平和な世どすなあ。」
平和。 この文久の時代に、その言葉は合っていなかった。
だが、殺さなくてもいいなら殺したくない。
だが、敵がこちらに刀を向けるから戦となる。お互いにそう思っているから殺し合いが絶えない。これが現実だ。
「いつか、平和な世が訪れればいいな。俺もそう思う。本当は、人なんか殺したくない。それは、あいつらだって思っているはずだ。」
「あいつら?」
「新選組や、京都見回り組の連中のことだ。人斬り集団なんか言われているが、奴らも こんなことはしたくなかっただろうよ。」
きっと土方さんも、皆も、同じことを思っているはずだ。
まともな人間なら、誰だってそう思うだろう。
古高の考えはまともだった。
敵ではあるが、同じ考えを持つことを知り、少し親近感が湧いた。
「さて、と。」
古高は残った酒を全て飲み干し、私の腰に手を回した。
突き飛ばしたい気持ちを抑えながら、私は古高の手を握った。
「そろそろ頃合い、か。」
きた。
隣の部屋へ向かおうとする古高は、私の手を固く握り、離さない。
分かってはいたものの、やはり怖かった。
「なあ、葵。」
「へえ、なんですやろ?」
「手が震えておる。何も、緊張することはないぞ。俺だって経験を積んでいる。 安心したまえ。」
生々しい言葉が、より私を緊張させた。
その時、 古高がばたりと音を立てて倒れた。
「え?」
思わず素っ頓狂な声を上げた自分の目の前には、大きくいびきをかいた吉高がいた。
「寝てる……?」
どうして?
すると、私の質問に答えるかのように、山崎さんが天井から降りてきた。
「奴の酒に睡眠薬を盛ったんや。 これのお陰で一晩中寝るやろう。」
山崎さんは、睡眠薬が入っているであろう包み紙を持ち、ひらひらとちらつかせた。
「こんな奴に抱かれるんなら、死んだ方がマシやろ。」
古高を睨みつけた山崎さんは私の手を取り、隣の部屋へと移動した。
「ここには誰もこうへん。少し休みや。」
「おおきに、山崎はん、あんたはんがおらんかったら、うち、今頃…」
考えただけで身の毛がよだつ。
「副長からの命やねん。」
「え?」
「男やってばれたら、元も子もないやんか。 それに、あんたが怖い思いせえへんように、って。副長はああ見えて優しいねん。」
「……知ってます。」
私は土方さんに、心の中で何度もお礼を言った。あの人の優しさを、身をもって感じた。
「今日はお疲れやね。 ゆっくり休みや。 帰りの手配してくるわ。」
「へえ、おおきに。」
今日一日だけが任務じゃない。
古高を殺すまで、この任務は終わらない。
今日の獲物は 高の志決して安易に尊王攘夷を掲げてはいないらしい。
古高の覚悟の強さが分かった以上、そこから仕事に対する忠誠心や性格の予想がつく。
新選組にできるだけ有力な情報を流す。
この姿の私に全てを吐かせ、死んでもらう。
私は古高が眠る隣の部屋を見た。
まさかこの私が、新選組の間者だなんて思ってもみないだろう。
このままいいように事が進んでいくのを待つのみ。
完全に私に惚れさせたところで、地獄に落としいれることに、私は何も罪悪感はなかった。
新選組のためにもっともっと、私の働きを反映させたい。
古高は、また明日もここに来るだろう。
そしてまた、こちら側に情報を流してもらう。
間違いない。断言できる。
全てにおいて、こちら側の大勝利だ。 私は今後の動きを慎重にしなくてはならない。
今一度、気を引き締めなければ。