夜桜
私は隣にある自分の刀を手に取り、刀身を自分に向けた。 そして左腕を思いきり斬った。

ボタボタと滴るどす黒い血が、私の袴に模様をつける。

驚く二人が何か言おうとしていたが、遮るように私は言った。

「これは貴方達に敵意がないという証明です。私の名はありません。忘れてしまいました。 名も処遇も忘れ、行く当ても無い中、偶然この新選組の屯所を見つけました。新選組に入隊できた暁にはこの命を救ってくれた恩として、命を張って新選組のために戦います。なのでどうか、新選組に入隊させてください。」

私は頭を畳にこすりつけ、何度も頭を下げた。

「もう何も言うまい。これ程の深い傷で我々の味方であることの証明をして、ここまで 頭を下げている。名を忘れた事にも、何か深い眠がありそうだ。もう頭を上げろ。認めよう、お前の新選組入隊を。」

近藤の声に、私は頭を上げた。
入隊が認められた今、私の処遇は確かなものになった。

「あんたが言うならしょうがねえ。まあ、こんな自傷行為をしてまで証明するとは思 なかった。 中々度胸のある奴じゃねえか。 あの現状を打破する術を見出し、それを実行する勇気がある。お前に敬意を。」

土方はそう言って、手ぬぐいを渡した。受け取り、傷の止血をした。

「悪かった。だが、お前がここに入れるのも、この傷あっての事だ。傷つけた俺が言う権利はねえが、その首と腕の傷は、大事にしろ。いつか役に立つかもしれん。」

「この傷を見るたびに、いつでも初心に還れます。素敵な傷を、ありがとうございます。」

「馬鹿野郎。」

土方は私の腕に、手ぬぐいを巻いてくれた。

「ところで、今から刀は握れそうか?」

手ぬぐいを巻き終えた土方はそう言い、私の刀を持ち、差し出した。

「お前は俺たち新選組の力になりたいと言った。当然、新選組の力になってもらう。だが、力が無いものにそれは務まらない。一度、お前の剣が見てみたい。」

私は土方から刀を受け取り、土方と近藤と共に庭に出た。

「真剣での立ち合いだ。くれぐれも無茶はしてくれるな。 仲間を斬ることだけは、まっぴら御免こうむる。」

先程私の首を切った土方が言った。
私の相手は土方らしい。
臙脂色の鞘から刀を抜き、構えた。

「いいだろう。 和泉守兼定と言ってな。 あの之定の刀だ。お前の腰の力も、随分と立派なものだと見受ける。 これはお前の腕に期待できそうだ。」

私も刀を抜き、構えた。
私の記憶では、人と剣を交えるのは初めてだ。

だが、本当に初めてならば、刀を構えることすらままならないはずだ。
ここは大人しく勝手に動く体に任せておこう。

「いざ。」
「勝負。」

私たちは一斉に刀を振りかぶった。土方の剣を受ける。

やはり大人の男の力だ。
女の私では、全て受けることはできないだろう。土方を押し返し、体制を整える。

土方もそうした。私とは少し違うその構え。
剣先を下にして、肩をこちら側に向けている。見たことがない構え。
どう攻めればいいか、考えるのに時間はいらなかった。
いや、考えより先に体が動こうとしている。 神経を全身に張り巡らせ、集中することだけに体力を使う。

この勝負、勝てば出世は間違いなし。
ここで腕を見せておけば、今後も安泰だ。
それに相手はこの組織の副長。
負けるわけにはいかない。

私は地面を蹴り、相手の胸に飛び込んだ。 土方に一度も隙を与えぬ様に、精一杯の力で相手の喉元を突いた。

「そこまで!」

そこで試合は終了した。

「勝者!無名!」

私の剣先は、土方の喉元を突いていた。
土方は剣先を下にして、自分の首に今でも刺さりそうな私の刀を見ていた。

勝った。勝ったのだ。

自分の腕を疑った。
本当に私の体なのか。いや、自分の意思で動いたとすれば、土方に勝つのは不可能だろう。
だが、私の体だ。

決して勝ったのは自分だけの力のおかげとは言えない。

だから何も言えないが、私は土方に勝ったのだ。
これ程嬉しいものはない。

「素晴らしい剣さばき。何処の流派だ?」

近藤が興奮しながら聞いてきた。
一番聞いてきて困るものは、自分のことだ。

私という人間の知識は、ここにいる二人とほぼ同じだ。赤子も同然。

「自分で生きるための剣を覚えたまでの事。流派などはありません。」

突然私の口が勝手に喋り出した。 まるで、私以外の他に、この体の中にいるような。

突然そんなことに見舞われ、混乱している中、近藤と土方はどんどん話を進めていた。

「お前の剣の腕は、物凄い威力だ。 恐らく、新選組一番の剣の使い手だろう。 そんな腕の持ち主、一度手放そうとしたのか、俺は。いや恥ずかしい。 参りました。」

土方はそう言い、自分の刀・和泉守兼定を抜き、自分の首元に当てた。

そして、深い切り傷を作った。
私と同じ場所に傷を作った土方は、私と目を合わせて笑った。

先程まで鬼の形相だった 彼の顔とは思えない程、美しくて、何処か儚い顔だった。

あの深い眉間のしわは消えていた。
先程の詫びのつもりなのだろう。
そんなことしなくてもと思った私だったが、彼 の真面目さと、不器用な優しさに笑うしかなかった。

初めて会ったはずだが、そんな気がしない。
そんな不思議な男だった。
これから先、どんなことがあろうと、この人たちと共に戦う。

その覚悟ができた今、あの時導かれるようにここに来た理由が分かった気がした。 運命というものを、信じようと思う。
私はこうして、新選組の一員になった。
彼らとの出会いは、私の今後の人生を大きく変えるものとなるだろう。

これも何かの縁だ。大切にしていこう。びりびりと痛みがある、土方副長とお揃いの傷に触れて、この思いを心に焼き付けた。
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