夜桜
まだ薄暗い空が、 京の街を照らす。
屯所の庭で、私は木刀を振っていた。
もう何本振ったのか忘れてしまった。
暖かい風が心地良く私の頬を撫でる。
藍色や薄桃色が混じっている奇麗な空は、不思議と心が浄化させていく。
静まり返った屯所の庭で一人素振りをするのは何処か寂しかった。
誰かと剣を握りたい。
そんな私の思いが通じたのか、向こうから藤堂さんが歩いてきた。
八番組組長、藤堂平助。
名前と顔を知っているくらいで、あまり話したことはない。
「おはようございます。」
「ああ、早いな。」
「はい、目が早く覚めてしまいまして。腕が鈍ってしまうといけないので、素振りをしていました。」
「奇遇だな。俺もだ。一緒にしていいか?」
「はい、もちろんです。木刀を持って参ります。」
そう言って私はその場を後にした。
「屯所で顔を合わせることしかなかったな。こうして話すのは初めてだ。お前のことは知っている。昨日大仕事を果たしたそうではないか。そんな者と共に素振りなんて 自分の士気が高まりそうだ。申し遅れた。八番組組長、藤堂平助だ。」
「零番組組長、誠守椿です。これからよろしくお願いします。藤堂さん。」
「ああ、よろしく頼む。 誠守。」
私は再び木刀を振った。藤堂さんもそうする。
「それにしても、どうして土方さんの小姓を?」
隣で木刀を振っている藤堂さんが言った。
「土方副長には、何処か人を寄せ付けない雰囲気があります。だけど、その分、誰よりも優しくて、正義感が強い。 私は土方副長の、そんな所に不思議と惹かれたんです。私の憧れの存在です。そんな人のお傍で働けるなんて、こんなに嬉しいことはありませ ん。」
「土方さんも、誠守の様な部下が傍にいてくれて嬉しいだろうな。」
「どうでしょうか。私が土方副長の小姓になったのは、私からお願いしたからなんです 勢い余ってしたお願い、迷惑だと思っていなければいいんですけど。」
「それは絶対に無いな。」
藤堂さんが確信を持った声で言った。
その声に私は素振りの手を止めた。私を見た藤堂さんもそうする。お互いに向き合った。
「土方さんは、武家の生まれではない。農民の生まれだ。武士に憧れ、近藤さんと総司、源さんらと共に江戸から京に上られた。土方さんは、元々農民の生まれだった自分に小姓がついて、武将になった様な気分になり、とても心地良いと言っていた。 武士になる 夢が少し近づいた、とも。土方さんは誠守がいてくれて良かったと思ってるに違いない 迷惑だとは、微塵も思っていない。これからも土方さんを支えていってくれ。」
藤堂さんの言葉に、私は笑みを隠し切れなかった。 土方さんがそんなことを思ってくれてるなんて、全く思わなかった。
「私の存在に意味があるのなら、こんなに嬉しいことはありません。教えて下さり、ありがとうございます。」
「土方さんや近藤さんが認めた剣士だ。共に、新選組を大きいものにしていこう。 誠守、これからよろしくな。」
「はい、こちらこそ、よろしくお願いします、藤堂さん。」
素振りを再開した私たちは、何も話すことなく、無我夢中で木刀を振り続けた。
新選組、土方副長の名に恥じないような剣士になりたい。そのためには日々の鍛錬を怠らない。
今日から毎日、この時間素振りをしよう。
もっと強くなりたい。そう思っていたのは私だけではないらしい。
「部下に負けるわけにはいかない。今日からこの時間、毎日素振りをしようと思う。誠守、一緒にどうだ?」
「断る理由もありません。 もちろんです。」
「剣の腕に優れている者とこうして鍛錬をするのはいいな。己を奮い立たせることができる。それに、土方さんの小姓なら尚更だ。」
「私も新選組内での稽古仲間ができて嬉しいです。」
新選組に入隊して間もない私に、こうして仲良くしてくれる人がいて嬉しかった。
私にとって、この時間はかけがえのないものとなった。
朝日が完全に昇り、隊士が次々と起き、もうこんな時間か、と私たちは顔を見合わせた。
「実に清々しい朝となった、ありがとう。」
「こちらこそ、ありがとうございました。」
藤堂さんから木刀をもらい、道場へ返しに行き、自室に戻ろうとした途中、私は一人の男の人と出会った。
新選組の羽織を身に着けたその人は、おそらく隊士だろう。 こんな朝早くからどうしたのだろう。
「おはようございます。」
「私は零番組組長、誠守椿と申します。土方副長の小姓に値するものです。」
「ええ!?」
驚いたその人は、目を丸くして私の顔を覗き込んだ。
「新入隊員かね?」
「はい、一週間前に入隊しました。 よろしくお願いします。」
「そうかそうか。 申し遅れた。 私は井上源三郎。六番組組長だ。大阪出張から帰ったんだ。」
「あなたが井上さんですね、お話は伺っております、お会いできて光栄です。これからよろしくお願いします。」
井上さんは気前の良い笑顔で、私の肩に手を置いた。
「分からないことがあったら、何時でも聞いてくれ。それにしても女の様な顔をしるな。やれ、トシも女小姓をつけるとは。」
「いえいえ!私は男です!」
「冗談だ、冗談。面白い者が入ったな。」
井上さんの冗談混じった口調に私は思わず大きい声を出した。
勘が鋭いのかは分からないが、私の性別がばれると面倒なことになりかねない。
嘘をつくのは性に合わないが、こればっかりはこうするしかなかった。
「トシはいるか?」
私の前を歩く井上さんが聞いてきた。
「はい、ですがまだお休み中だと思われます。 夕べ、遅くまでお部屋の明かりがついていましたから。」
「トシは相変わらず仕事熱心だな。 無理しないか心配だ。 椿ちゃん、トシのことよろしく頼むぞ。」
「椿ちゃんって…!」
「あはは、可愛いだろう?女みたいな顔に、女みたいな名前椿ちゃんでいいだろう!」
「もう井上さんっ!」
「源さんでいいぞ〜!」
「源さんっ!」
「名前、誰がつけたんだ?」
「土方副長です!!」
「なっ、お前トシの子供か?」
「違います!!!」
源さんは愉快愉快と手を叩きながら、土方副長の部屋に向かってずんずんと進んだ。
明るいその振る舞いには、初対面の私にだって変わらない。
沖田さんの雰囲気的存在である源さんに何処か似ていた。
源さんは縁側で草履を脱ぎ、床に膝をついて四つん這いになり、土方副長の部屋の襖に手をかけた。
「トシ〜源さん帰ったぞ〜」
源さんが襖を開けようとしたその時、部屋側から勢いよく襖が開いた。土方副長が顔を出した。
「たっく、朝から騒がしいと思ったら。 出張ご苦労。」
「土方副長、おはようございます。」
「ああ、おはよう。」
寝間着ではない土方副長の格好から、もうとっくに起きていたのだろうかと予想がつく。
「大阪での報告をしたいのだが、勇さんはいるかい?」
「ああ、部屋にいるはずだ。呼んでくる。」
「あ、お茶を入れてきます。」
「うん、椿ちゃん、うんと熱いお茶を頼む。」
「あ?どうしてその呼び名なんだ?」
「顔も名前も女みたいじゃないか。 トシの女小姓か?」
「あいつは男だ。」
「それは脱がしてみねえと分からねえなあ。」
「は?」
そんな二人の会話を背中で聞いていた。 源さんは鋭い。 注意せねば。
屯所の庭で、私は木刀を振っていた。
もう何本振ったのか忘れてしまった。
暖かい風が心地良く私の頬を撫でる。
藍色や薄桃色が混じっている奇麗な空は、不思議と心が浄化させていく。
静まり返った屯所の庭で一人素振りをするのは何処か寂しかった。
誰かと剣を握りたい。
そんな私の思いが通じたのか、向こうから藤堂さんが歩いてきた。
八番組組長、藤堂平助。
名前と顔を知っているくらいで、あまり話したことはない。
「おはようございます。」
「ああ、早いな。」
「はい、目が早く覚めてしまいまして。腕が鈍ってしまうといけないので、素振りをしていました。」
「奇遇だな。俺もだ。一緒にしていいか?」
「はい、もちろんです。木刀を持って参ります。」
そう言って私はその場を後にした。
「屯所で顔を合わせることしかなかったな。こうして話すのは初めてだ。お前のことは知っている。昨日大仕事を果たしたそうではないか。そんな者と共に素振りなんて 自分の士気が高まりそうだ。申し遅れた。八番組組長、藤堂平助だ。」
「零番組組長、誠守椿です。これからよろしくお願いします。藤堂さん。」
「ああ、よろしく頼む。 誠守。」
私は再び木刀を振った。藤堂さんもそうする。
「それにしても、どうして土方さんの小姓を?」
隣で木刀を振っている藤堂さんが言った。
「土方副長には、何処か人を寄せ付けない雰囲気があります。だけど、その分、誰よりも優しくて、正義感が強い。 私は土方副長の、そんな所に不思議と惹かれたんです。私の憧れの存在です。そんな人のお傍で働けるなんて、こんなに嬉しいことはありませ ん。」
「土方さんも、誠守の様な部下が傍にいてくれて嬉しいだろうな。」
「どうでしょうか。私が土方副長の小姓になったのは、私からお願いしたからなんです 勢い余ってしたお願い、迷惑だと思っていなければいいんですけど。」
「それは絶対に無いな。」
藤堂さんが確信を持った声で言った。
その声に私は素振りの手を止めた。私を見た藤堂さんもそうする。お互いに向き合った。
「土方さんは、武家の生まれではない。農民の生まれだ。武士に憧れ、近藤さんと総司、源さんらと共に江戸から京に上られた。土方さんは、元々農民の生まれだった自分に小姓がついて、武将になった様な気分になり、とても心地良いと言っていた。 武士になる 夢が少し近づいた、とも。土方さんは誠守がいてくれて良かったと思ってるに違いない 迷惑だとは、微塵も思っていない。これからも土方さんを支えていってくれ。」
藤堂さんの言葉に、私は笑みを隠し切れなかった。 土方さんがそんなことを思ってくれてるなんて、全く思わなかった。
「私の存在に意味があるのなら、こんなに嬉しいことはありません。教えて下さり、ありがとうございます。」
「土方さんや近藤さんが認めた剣士だ。共に、新選組を大きいものにしていこう。 誠守、これからよろしくな。」
「はい、こちらこそ、よろしくお願いします、藤堂さん。」
素振りを再開した私たちは、何も話すことなく、無我夢中で木刀を振り続けた。
新選組、土方副長の名に恥じないような剣士になりたい。そのためには日々の鍛錬を怠らない。
今日から毎日、この時間素振りをしよう。
もっと強くなりたい。そう思っていたのは私だけではないらしい。
「部下に負けるわけにはいかない。今日からこの時間、毎日素振りをしようと思う。誠守、一緒にどうだ?」
「断る理由もありません。 もちろんです。」
「剣の腕に優れている者とこうして鍛錬をするのはいいな。己を奮い立たせることができる。それに、土方さんの小姓なら尚更だ。」
「私も新選組内での稽古仲間ができて嬉しいです。」
新選組に入隊して間もない私に、こうして仲良くしてくれる人がいて嬉しかった。
私にとって、この時間はかけがえのないものとなった。
朝日が完全に昇り、隊士が次々と起き、もうこんな時間か、と私たちは顔を見合わせた。
「実に清々しい朝となった、ありがとう。」
「こちらこそ、ありがとうございました。」
藤堂さんから木刀をもらい、道場へ返しに行き、自室に戻ろうとした途中、私は一人の男の人と出会った。
新選組の羽織を身に着けたその人は、おそらく隊士だろう。 こんな朝早くからどうしたのだろう。
「おはようございます。」
「私は零番組組長、誠守椿と申します。土方副長の小姓に値するものです。」
「ええ!?」
驚いたその人は、目を丸くして私の顔を覗き込んだ。
「新入隊員かね?」
「はい、一週間前に入隊しました。 よろしくお願いします。」
「そうかそうか。 申し遅れた。 私は井上源三郎。六番組組長だ。大阪出張から帰ったんだ。」
「あなたが井上さんですね、お話は伺っております、お会いできて光栄です。これからよろしくお願いします。」
井上さんは気前の良い笑顔で、私の肩に手を置いた。
「分からないことがあったら、何時でも聞いてくれ。それにしても女の様な顔をしるな。やれ、トシも女小姓をつけるとは。」
「いえいえ!私は男です!」
「冗談だ、冗談。面白い者が入ったな。」
井上さんの冗談混じった口調に私は思わず大きい声を出した。
勘が鋭いのかは分からないが、私の性別がばれると面倒なことになりかねない。
嘘をつくのは性に合わないが、こればっかりはこうするしかなかった。
「トシはいるか?」
私の前を歩く井上さんが聞いてきた。
「はい、ですがまだお休み中だと思われます。 夕べ、遅くまでお部屋の明かりがついていましたから。」
「トシは相変わらず仕事熱心だな。 無理しないか心配だ。 椿ちゃん、トシのことよろしく頼むぞ。」
「椿ちゃんって…!」
「あはは、可愛いだろう?女みたいな顔に、女みたいな名前椿ちゃんでいいだろう!」
「もう井上さんっ!」
「源さんでいいぞ〜!」
「源さんっ!」
「名前、誰がつけたんだ?」
「土方副長です!!」
「なっ、お前トシの子供か?」
「違います!!!」
源さんは愉快愉快と手を叩きながら、土方副長の部屋に向かってずんずんと進んだ。
明るいその振る舞いには、初対面の私にだって変わらない。
沖田さんの雰囲気的存在である源さんに何処か似ていた。
源さんは縁側で草履を脱ぎ、床に膝をついて四つん這いになり、土方副長の部屋の襖に手をかけた。
「トシ〜源さん帰ったぞ〜」
源さんが襖を開けようとしたその時、部屋側から勢いよく襖が開いた。土方副長が顔を出した。
「たっく、朝から騒がしいと思ったら。 出張ご苦労。」
「土方副長、おはようございます。」
「ああ、おはよう。」
寝間着ではない土方副長の格好から、もうとっくに起きていたのだろうかと予想がつく。
「大阪での報告をしたいのだが、勇さんはいるかい?」
「ああ、部屋にいるはずだ。呼んでくる。」
「あ、お茶を入れてきます。」
「うん、椿ちゃん、うんと熱いお茶を頼む。」
「あ?どうしてその呼び名なんだ?」
「顔も名前も女みたいじゃないか。 トシの女小姓か?」
「あいつは男だ。」
「それは脱がしてみねえと分からねえなあ。」
「は?」
そんな二人の会話を背中で聞いていた。 源さんは鋭い。 注意せねば。