甘やかし婚   ~失恋当日、極上御曹司に求愛されました~
誰か、と飯野さんが店内に向かって大声をあげる様子をうつろな目で眺める。

飯野さんは私の体を支え、庭園のテラス席に座らせてくれた。


「貧血かしら? なにか薬は服用している?」


心配そうな声に、小さく首を横に振る。

眩暈がひどく、ぎゅっと目を閉じる。


「すぐに郁を呼んでくるから、待っていて!」


飯野さんのきびきびした声が響くと同時に、バタバタと誰かが走ってくる足音が聞こえた。


「――沙也!」


大好きな夫の声に安心したのか、力が一気に抜けた。

郁さんにきつく抱きかかえられた感触だけがはっきり残っている。

その後慌ただしく病院に連れて行かれ、診察を受けた。

処置をうけている間に少しずつ気分は回復してきた。


「おめでとうございます。妊娠されていますね」


優し気な医師の言葉に目を見開く。


妊娠?


私が?


「先生、本当ですか!?」


隣に座る夫が興奮して医師に確認する。

少し貧血気味で、今回の眩暈を起こしたらしい。


……本当に赤ちゃんがきてくれたの?


そっと震える指をお腹にあてる。

ここに命が宿っているかと思うと、嬉しくて泣きたくなる。


「……沙也、よかった……ありがとう」


初めて聞く郁さんの震える声に思わず顔を見つめると、目が真っ赤になっていた。


「郁、さん?」


彼はそのままの体勢で、人目をはばからずぎゅっと私を抱きしめた。

その温もりに現実感がわき、鼻の奥がツンとした。
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