諷喩は僅か
部屋を選んで、支払いを済ませる。
隣に並ぶんじゃなくて、やっぱり先を歩く楠の表情は見えなくても能面なのだろう。無駄に鳴り響くエレベーターの到着のチャイムは相変わらず騒がしかった。
ここに訪れる人たちに、訳はあるのだろうか。
ただのカップルがここで時間を共にする確率は、どれだけなのだろうか。浮気相手、不倫、一夜限り、セフレ、幸せな人たちって、どれだけいるのだろう。
扉の鍵を開ける。戸を開く。ここだけ楠は私を先に入るように促す。理由はおそらくないだろうけど、聞こうと思ったことはない。
扉が閉まる音と同時に、彼はわたしの腕をつかむ。先に入ったわたし寄りに先を進んで、あの無駄に広いベッドに私を放り投げる。
「……今日は随分と乱暴なんだね」
「寒い寒いってうるせーから、はやくあっためてやろうと思っただけだけど」
「言い訳が上手いのね」
「ありがと」
着ているコートすら脱がす暇すら与えてくれなかった彼は、私のブーツを片方ずつ脱がして、それから自分の上着を脱ぐ。
壁にハンガーがかかっているのにお構いなしに椅子に放り投げ、私を上から見下ろした。
「時間かけて治してた瘡蓋をめくった気分はどうだった?」
「……まわりくどいね」
「これが俺の優しさだよ」
「うん、楠の優しさは狡いね」
表情が、変わる。目を細めて、睨むように笑う楠の表情が怖かったのはいつまでだろう。それが彼を創る貌のひとつなら、私は絶対に受け入れたいのだ。
私に覆いかぶさった影が、うっすら明かりの灯っている室内の壁に大きく映っていた。
じりじりと詰め寄っていく彼に抵抗はしなかった。それを、受け入れて求めていることに一体いつになったら気づいてくれるのだろうと思っていた。