天使はかえらない
天使はかえらない
今、私の葬式が目の前で行われてる。
…意味が分からない。
確かに、ここに私は居るのに。
何か、たちの悪い冗談に違いない。
そう思わないと、正気を保ってられなかった。
だって、信じられないでしょう?
昨日まで、いつもどうり学校行って。
友達とくだらないことを話して。
宿題めんどいな〜、とか思いながら明日の予習までして。
22時にベットに潜り込んで寝る。
明日があることなんて当然のことで、疑問なんて抱きもしたことがなかった。
もちろん、自分が急に死ぬなんて考えたことがなかった。
…なのに今、確かに私の葬式が行われている。
“どうして?何が起こってるの?!”
大きく声に出したはずの言葉は、しかし、音にならず、誰にも届かなかった。
皆、泣いている。
友達はわんわん泣きじゃくっていて、ハンカチがぐっしょり濡れている。
私がその前に立っても、両手を顔の前でヒラヒラ振っても、まるで見えていないかのように泣き続ける。
ふらふらと両親の近くに寄って行った。
母は、「なんで、どうして…っ!!」と悲痛な声を漏らしている。
父は、参列者の人達に向かって挨拶をしている。所々、声が湿る。
泣きたいのは私だ。
けれども、いっこうに涙は流れて来ない。
実感しつつも、私はまだ、この事実を受け止められない。いや、受け入れたくない。
だって、これは悪い夢かもしれないから。だから、そうしてしまったら、もう2度と覚めない気がして。────怖いから。
けれども、無情にも真実が、現実があちらから向かってきた。
火葬するためだろうか。棺桶を乗せた台が押されて来る。
すれ違った瞬間に、閉じていたはずの窓が開き《私》の顔が見えた。
それは、スローモーションのような一瞬で、私の目に、脳に画像が焼きつく。
棺桶に入った私は、とても青白い顔をしていて、どう見たって生きていなかった。
あぁ、悪い夢なら早く覚めてくれ。
夢でないなら、私は問う。
“なぜ、死ななければならなかったのか”と。
いつか必ず死ぬことは分かっていた。
でもそれは、遠い未来のことであって、今ではなかったはずだ。
まだまだしてみたいことが沢山あったのに。
恋愛だってしてみたかった。
誰かに『好きだ』と言われてみたかった。
読みたい本だって沢山あった。
あのシリーズはまだ完結してなかったのに。
友達ともっと話したかった。
くだらないことで笑う、あの時間が好きだった。
それももう、どれひとつとして出来ない。
無念で、悲しくて、泣きたいのに、私は涙の1滴さえも流せない。
そういう存在だから。
ところで、この私は、一体どういうものなんだろう。
いわゆる幽霊というものだろうか。
それとも、ただの形の無い意思だろうか。
自分のことなのに、何も分からない。
そのことにまた、泣けてくる。
誰もいない中、誰にも気づいてもらえず、1人の空間でひっそりと悲しみに暮れる。
どのくらい時間がたったのだろうか。
ふと、気がつくと空に月が浮かんでいた。
死んでから初めて見るそれは、今の私にはどうしようもなく眩しかった。
『死んでから』
そう、自然と思えるようになっている。
きっと、さっきまでので、色々心の整理ができたのだろう。
私が死んだけど、どうしているだろうか。
気になったので、家にいるであろう家族の元へ行ってみることにした。
我が家の玄関前に来た。
いつもは反応するライトがつかない。
本当に死んだんだなと、改めて思いながらドアをすり抜ける。
どこの部屋も電気がついていない。
このおかしな出来事に、私は不安になる。
リビングを見てみる。
が、誰もいる気配がない。
両親の部屋にも、台所にも…。
2番目以降で思い付く部屋を次々と見て周るが、やはり誰もいない。
1番心当たりのある2階にある部屋に向かう。
ゆっくり、ゆっくりと、階段をスロープのように昇って行く。
唯一電気のついた左側の部屋──私の、梨花の部屋が目的地だ。
僅かに開いた扉の隙間から、部屋内部の様子を窺う。
✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽
この部屋にはまだ、あの子の匂いと気配が残っている。
今日、あの子の葬式だった。
何か薄い膜が何重にも重なって、わたしを覆っているように感じた。
あの子が死んだんだなんて、それを確認したのはわたしだったのに、未だ信じられない。
式中、あの子のことだから、ドッキリでもしていて、わたしが近づいたら棺桶から飛び出して、「ドッキリ大成功〜!」と、満面の笑みで言ってくるのではないかと期待してしまっていた。
そんな、夢みたいな嬉しいことは実際は起こらないけれども。
夫は、壊れたロボットのように同じ言葉を繰り返していたわたしの代わりに、葬儀の準備も、挨拶もしてくれてた。
やはり、いつもと違いとても機械的に。
火葬して、骨だけになったあの子を連れて帰って来てすぐに、ふたりともあの子の部屋へ行った。
そこは、昨日、あの子が寝ていた時のままになっていて、今にも声が聞こえてきそうだった。
…湿った音が隣から聞こえてきた。
夫だ。
感情を表に出すのが苦手な夫が、今、泣いている。
それほどだったのだ。あの子の死は。
あぁ、そうか。本当に死んだんだ、あの子は。
わたし達のかわいい1人娘は今朝、永遠の家出をしたのだ。
やっと、そのことを理解したわたしは、耐えていた分を吐き出すかのように、堰を切ったように涙を溢し始めた。
なんで、なんで、梨花は死んでしまったのか。
昨日までいつもどうりだったのに。
あの子の代わりにわたしを連れていけば良かったのに。
何より、後悔していることが1つだけある。
それは、『愛している』のたった6文字を言ってなかったこと。
今更、後悔しても遅いのに。
エゴだったとしても、今ならまだ伝わる気がするから。
「「あなた(お前)を愛している(わ)」」
図ったわけでもないのに、夫と声が重なった。
きっと、今、考えていることは同じ。
梨花が、わたし達のかわいい1人娘が、どうか今は安らかに眠れますように。
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“…っ!”
「「あなた(お前)を愛している(わ)」」
中の様子を見ていると、突然、父と母が声を揃えてそんなことを言った。
明らかにそれは、私に宛てた言葉だった。
私がここにいることを知っていて言ったのかと思ったが、それは違うだろうと即座に判断した。
両親のことだ、きっと今ならまだ大丈夫だと、そう勘で悟ったのだろう。
……それにしても、『愛している』か…。
初めて言われたその言葉に、少し気恥ずかしさを覚える。
そういえば、私も伝えてなかったな。
いつでも言えるからと、高をくくっていたのもあるし、単に、直接伝えるのが恥ずかしかったからね。
有限なこの状況がいつまでなのか分からないし、聞こえなくても、言葉にしてみようかな。
今なら、出来そうだ。
そっと呟く。
“今までありがとう。私も愛してるよ。”
次の瞬間、私達の間を暖かい風が吹き抜けた。
思わず、と言わんばかりに扉の方、つまり、私のいる向きに顔をそむけた両親は驚きに満ちた表情を浮かべた。
目にうっすらと涙が盛りあがっている。
「…!り、梨花…?!」
「これは…夢?梨花がいる…」
え…?
もしかして…。
音にならないと分かっていても、それでも、声に出さずにはいられなかった。
“私が見えるの…?”
届かなかったはずの言葉は、しかし、ふたりには聞こえたようだった。
証拠に、ふたりとも私に向かって手を伸ばしている。
まるで、地獄の底で見つけた蜘蛛の糸を掴もうとするように。とても必死に。
だが、その手はいとも簡単に私の身体をすり抜ける。陽炎のように揺らめいて、両親を嘲笑う。
「なんで…っ!ここにいるのに、なぜ、抱きし
めることも、触れることも出来ないの…っ!」
「なぜ、お前は死んでしまったんだ…っ!」
狂ったように手を伸ばし、何度も何度も手を私の身体をすり抜けながら悲痛に叫ぶ。
そんなの、私の方が知りたいよ。
何故、私は死んでしまったのか。
何故、もう何も出来ないのか。
何故、何故何故何故…っ!!
叫びたい衝動に駆られるが、それでも、こんな必死になって、乱れて、取り乱している両親を見ると、不思議と冷静になった。
いつも迷惑ばかりかけていた私を温かく、和やかに包み込んでくれてた母。
感情の起伏が少ない、けれども、誰よりも私に、家族に優しかった父。
そんなふたりが、こんなになってるんだ。私のために。
あぁ、私は、本当に愛されてたんだな…と、こんな状態なのに嬉しいと、そう思ってしまう。
もう少し、まだ一緒にいたかった。
でも、もうすぐ時間切れだから。
私は、私に、《梨花》に、引導を渡す。
両親と別れる。今世での、別れを告げる。
“お父さん、お母さん。”
両親に呼びかける。
優しく、儚く、囁くように。
私の言葉が、ふたりを絶望の淵から救い出せるように。
ハッと、両親は私の顔辺りを見上げた。
その顔は迷子の子どものようになっている。
“ごめんなさい、突然死んじゃって。”
「そうよ…!なんで、なんでわたし達を置いて
先に死んでしまったの…っ!」
“…うん。本当にごめんね。私もさ、死んでし
まうだなんて思ってもいなかったよ。正直、受
け入れたくなかったね、こんな現実。
未練だって、後悔だって沢山沢山ある。でも
さ、どんなに悔いても、もう、私の時間は戻ら
ないし、戻せないんだ。
どんなに一緒にいたくても、いつかは必ず別
れは来る。身を持って実感したよ。”
「それにしたって、早すぎないか…っ!?」
“そうかもしれないね。でもまぁ、これが私の
運命、定められた寿命だったのかもね。”
「…案外、割り切っているのね。梨花なら、も
っと取り乱しているかと思っていたわ。」
“そうだね。もちろん、取り乱したよ、こんな
状態になったばっかりの時は。
泣きたいのに涙の一滴すら出てこなくて。そ
れがもっと悲しくて、泣きたくなった。長い間
そうしていて、やっと整理がついたの。
ふと、家に行ってみようと思って、ここにや
って来たの。部屋を覗いていたら、お父さんと
お母さんの言葉が聞こえてきて。”
だんだん、涙声になっていく。おかしな。この身体は涙なんか出ないはずなのに。
“…っ!「愛してるよ」って言われて、恥ずかし
かったけど、同時にとても嬉しくて。
それで思ったの。‘あぁ、私も言えてなかっ
たな’って。でも、その後悔はなくなりそう。”
✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽
“────。でも、その後悔はなくなりそう。”
その言葉を聞いた時、なぜか『続きを言わしてはいけない』と思った。
止めないと、この子は消えてしまうと。そう、嫌な予感がした。
また、ふたり同時に手を伸ばす。今度は、その言葉を言わせないように。
「「待って(くれ)…っ!!」」
それでも、わたしと夫を悲しそうに見ながら言った。
断ち切るように。悲しみを覆い隠すように、泣き顔に微かな微笑みを浮かべながら。
“今まで、私をここまで育ててくれて、ありが
とう…っ。親不孝者でごめんね…っ。
私はっ、ふたりの子どもで幸せでした…っ!
世界で1番、ずっと、愛してるよ…っ!!
また、来世でも、ふたりの子どもになりたい
です…っ。…だからっ、だから…っ、もう、《梨花》はおしまいです…っ。
じゃあね…っ、バイバイ…っ。”
梨花の身体に半透明な大きい羽が生える。それと同時に、どんどんその身体が透けていく。
存在が希薄になっていく。
消える直前に見えたあの子は、涙で顔を濡らしながら精一杯笑っていた。
…ポタリ、ポタリと何かが落ちて、床に吸い込まれていく。
それは、しょっぱくて、苦い液体。
わたしは泣いているのか。
どこか他人事にそう思う。
ふわりと、温かい何かがわたしを抱きしめる。
その温かさが身にしみて、ストンと、あの子が本当に消えたことが心に落ちてくる。
そして、生きていることの奇跡が愛おしく思えてきた。
生きよう。あの子の分も。
だから、どうか今だけは、貴方を思って泣くことを許してください。
わたしは、夫に包まれながら、ふたりであの子を思って涙を溢し続けた。
さようなら、わたしの、わたし達夫婦のかわいい1人娘。
また、わたし達の元に来るまで。
それまで、静かにお休み。
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