今日から君の専属マネージャー
次の仕事も問題なく終えて、帰るのは昨日と同じくらいの夜9時だった。
体はくたくただった。
寝不足だし、昼ご飯も夜ご飯も、ぱっと食べて終わりだったし。
食べてもお腹はすくし、眠い。
ふらふらと歩きながら、何とか目の前の涼ちゃんの背中を追いかける。
だけど足が前に進まなかった。
立ち止まって「ふー」と息を吐きだすと、体の力が抜けて今にも眠れそうだった。
視線を上げると、先を歩いていたはずの涼ちゃんの背中が、見えなくなっている。
__涼ちゃん、先行っちゃったかな。
思い返せば、今日私は一日ずっと、涼ちゃんの背中を追いかけている。
涼ちゃんのそばにいて、涼ちゃんの仕事を見る。
ただそれだけのことなのに、私はそれをするだけでも大変だった。
なぜなら、涼ちゃんはとにかく動く。
じっとしていない。
そして歩くのが早い。
視線を走らせているうちに、もう次の場所に移動している。
そして今もまた、私は涼ちゃんの背中を追いかけて、追いつかなくて、手を伸ばしても届かなくて。
その背中さえ見失う。
__待って。
そう言ったところで、声も届かない。
うつむいてもう一息ついたとこに「美鈴」と頭上に涼ちゃんの声が落ちてきた。
声の方を見ると、マスクとサングラスを外した涼ちゃんがそこにいた。
「りょっ、涼ちゃん。まずいよ、こんなところで変装外したら」
私は周りを気にしながら小さな声で涼ちゃんに注意する。
だけど、当の涼ちゃんは冷静だ。
「大丈夫? 疲れた?」
「え? う、ううん、全然大丈夫」
何でもない顔をして、何でもない風の声で言った。
正直しんどいけど、そう言えたのは、涼ちゃんが今日、私以上に一生懸命働いていたからだ。
そして涼ちゃんは、優しいのだ。
仕事にまだ慣れない私をフォローしながら、自分の仕事もこなしていた。
撮影の合間のほんの少しの休憩時間にも、私のことを気にして話に来てくれたし、私が一人ぼっちにならないように、いろんなスタッフに声掛けしてくれていたことにもなんとなく気づいていた。
涼ちゃんの方が、私なんかより何倍も疲れているはずだ。
それなのに、今日も涼ちゃんは私を家まで送ってくれる。
その優しさが、疲れたメンタルに染み入る。
「私のことは無視していいから。他人のフリして。
いくらもうすぐだからって、油断しちゃだめだよ」
私たちが今いるのは、駅から10分ほどの古い家が集まっている住宅地だ。
駅近とはいっても、大通りに面した賑やかな駅前とは違い、駅の裏側の一本奥の道に入ったこの場所は、古い家がひっそりと密集している。
そんな住宅地の中に、我が家はポツンとある。
この時間に外を出歩く人なんてほとんどいない。
それでも、涼ちゃんを知っている人がいないとも限らない。
私の小学校や中学の同級生も、この界隈に住んでいる人は多い。
「涼ちゃん、有名人なんだから」
「でも、ほっとくわけにはいかないだろ。だって美鈴、昨日、寝てないだろ」
「え?」
「今日の仕事の資料、見ててくれたんだよな。
電車の時間とか、集合場所とか、調べてくれてたんだよな。
メイクの仕方とか服装とか、自分なりに考えてたんだよな」
メイク動画で研究していたことまで見透かされていた恥ずかしさに、思わず視線をそらした。
その時、頭の上にふわりと暖かな重みを感じた。
そして、そっと髪をすくように、頭を撫でられる。
「よくできました」
優しい声が、頭上にきらきらと舞い降りる。
その声を、耳が嬉しそうに受け止める。
もう少しそうしていてほしいのに、頭からふっと重みが消える。
私は名残惜しむように、先ほどまで涼ちゃんの手に包み込まれた頭を、今度は自分の手でそっと包み込んだ。