今日から君の専属マネージャー
「お疲れさまでしたー」
ようやく二人の撮影が終わって、私も「はあ」と重たい息を吐いた。
涼ちゃんと夏木さんの撮影に心が打ちのめされて、壁から背中を離すことができなかった。
そんな私の頬に、冷たいものがぴたりと当てられ、思わず飛びのいた。
「美鈴ちゃん、出番だよ」
そう言って楓君は先ほど私の頬につけたペットボトルを渡し、そっと背中を押してくれた。
一歩前に出ると、涼ちゃんはまだ撮影セットの中でスタッフの人と何か話し合っている。
私は楓君と視線を合わせて「うん」とひとつ大きくうなずいてから、一歩を踏み出した。
少しずつ涼ちゃんに近づいていく。
そして大きく息を吸って、「りょっ……」と声に出した瞬間、私が握りしめていたペットボトルがすっと手元から引き抜かれた。
「涼也君、お疲れ様」
私の手元にあったペットボトルは、夏木さんの手から涼ちゃんの手に渡された。
「ああ、ありがとうございます」
そう言いながら涼ちゃんはペットボトルのふたを開け、水をごくごくと飲んだ。
「はい、タオル。すごい汗だけど、大丈夫?」
そう言いながら夏木さんは涼ちゃんの額の汗を、そのタオルで拭いてあげていた。
その顔はすごく心配そうだった。
「そうですか? ちょっと暑かったかも。タオルありがとうございます」
そう言いながら、涼ちゃんは写真を確認するために、モニターの方に移動した。
そこに合流しようとする夏木さんに、私は控えめに声をかけた。
「あの夏木さん、タオルありがとうございました。すみません、私の仕事なのに」
夏木さんは私に背中を向けたまま立ち止まっていた。
反応がないことに、頭に疑問符をくっつけて「あの……」と言いかけた時だった。
「……あんた、使えないのね」
どす黒い声が、どこからか聞こえてきた。
気のせいかと思った。
まさか、この華奢な体の向こう側から出てきたなんて。
夏木さんは首だけこちらに向けると、
私に一瞥だけくれた。
その目は冷ややかで、いかにも意地悪そうだった。
「ふん」と首を戻して、夏木さんは涼ちゃんに駆け寄る。
さりげなく背中に触れて、そこから顔だけ出してモニターをのぞき込む。
その光景に、開いた口もふさがらない。
「うわあ、こわっ」
私の横から楓君が顔をしかめて出てきた。
「今の、誰?」
「夏木璃子だよ」
「うそ」
「ほんと」
「だって、さっきあいさつ行ったとき、めちゃめちゃいい人だったよ。
あんな人じゃなかったよ」
「そりゃあみんなの前では猫ちゃんになるよ。そういうもんでしょ。
噂ではもう何人もの男を食ってるとか。
涼也もおねえ様に食われないといいけどね」
楓君は私のそばでおかしそうに笑う。
私はと言えば、ぽかんとした口をふさげないでいた。
まるで、ドッキリにかけられたみたいだ。
「く、食う……りょ、涼ちゃんが、食われる」
瞬きもできないでいる私の顔を、「冗談だよ」とおかしそうに楓君はのぞき込んでくる。
「へえ、そういう顔も、かわいいんだ」
視線が間近で合って、思わず後ずさりする。
それなのに、楓君は私の目を追いかけてくる。
「おい、撮影再開だぞ」
その鋭い声に、びくりと体が震えた。
私と楓君は同時にその声の方に視線をやった。
目の前には、厳しい表情の涼ちゃんが立っていた。
「お、涼也、お疲れ。どうだった? おねえ様の魅力にやられなかったか?」
「俺のマネージャーをおもちゃにするのはやめろ」
「別に楽しくおしゃべりしてただけじゃん。お前がほったらかしにしてるから」
「は?」
楓君の言葉に、涼ちゃんがぎろりと目を向ける。
__え? 大丈夫? この空気。
私は向かい合う二人を交互に見た。
「では撮影再開します」
その声で、二人の熱い視線の交わしあいは終わった。
各々逆の方向へ歩いていく。
私はその場で、ふーっと大きな息を吐いた。