たとえ9回生まれ変わっても




夜ご飯は、おばあちゃんが作ったローストビーフとヨークシャー・プティングだった。

ヨークシャー・プティングというのはふわふわの薄いパンのような生地にソースをつけて食べる料理だ。

イギリスの家庭料理で、お母さんは子供の頃からこれを食べて育ったという。

名前は聞いたことがあったけれど、わたしは食べるのは初めてだった。

「これはおばあちゃんの得意料理でね。わたしがやっても同じようにできないのよ」

とお母さん。

「おいしい」

わたしはプティングをかじってつぶやいた。

普段食べているパンとは違う、不思議な食感だ。

「あなたにこれを食べてもらいたかったの」

おばあちゃんが言った。

「どうかしら?」

おばあちゃんが紫央のほうを向いて尋ねた。

紫央は少し目を見開いて、それから嬉しそうに笑った。

「うん。すごくおいしい!」

「そう。よかったわ」

おばあちゃんは、青い目を細めて微笑んだ。

賑やかな食卓。

みんなが笑って、のんびりと時間が過ぎる。

お父さんとお母さんはお店のことで忙しいから、いつもはあまりゆっくり食事する時間がない。

だけどおばあちゃんが家に来てからは、お母さんはどこかゆったりとくつろいでいるように見えた。

やっぱりお母さんのお母さんだからだろうか。






その夜、わたしはスピーチの原稿にとりかかった。

ずっと書く気になれなくて、止まっていた。


原稿用紙を広げてみても、相変わらずペンは進まない。



「蒼乃っ!」


いつの間にか紫央が後ろに立っていた。


わたしは思わず身構える。


「何してるの?」

「いや、いつも抱きついてくるから」


「失礼だなあ。たまにだよ」

いやいや。
けっこうな頻度のたまにな気がするけど?


「頑張ってるね」


紫央が覗き込んで言う。


「見ての通り、全然だよ。やっぱり、わたしには向いてないみたい」

わたしは苦笑した。

授業で習ったことだけが出る学校のテストと違って、自分で考えなければならないスピーチは、やっぱり苦手だ。


「じゃ、やめちゃえば?」

紫央はあっさりと言った。

そんな、簡単に。

「無理だよ……わたしが代表にって、選ばれちゃったんだもん」


いまさら断ったりしたら、黒岩先生にまた嫌味を言われるに決まっている。
嫌味じゃ済まないかもしれない。


「でも、向いてないことを無理にやることはないと思うなあ。蒼乃には、蒼乃の得意なことがあるんだし」


「わたしの得意なこと……?」


「うん。蒼乃の得意なこと、たくさんあると思うよ」


紫央はまるでわたしのことをよく知っているみたいに得意げに言った。


わたしの得意なこと。
そんなのあったかな?

そして、あ、と気づく。

そういえば、テストの点がよかったから代表に選ばれたんだっけ。


でも、わたしは、やりたくもないことのために頑張って勉強したわけじゃない。


英語を話せるようになりたい。


見た目が理由で、これ以上バカにされたくない。

それに、お母さんみたいに日常会話くらいは話せたらいいなって。

そう思ったから、勉強を頑張ったんだ。


こんな風に、誰かに強制されるためじゃない。


「だったらさ、やめちゃおうよ」


「なんかそれ、不良少年みたいな言い方だなあ」


「あはは、そうかな?」


紫央に不良少年なんてまったく似合わないけれど。


だけど、勉強ばかりしていた子が少し道を逸れるときって、案外こんな気持ちなのかもしれない。


たまには、優等生をやめてみてもいいかなって。


紫央がいなかったら、わたしは絶対にそんな風に思うことはなかっただろう。













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