青に染まる
「ただいまー」

 家に入ると、何かの出汁の匂いがする。味噌汁だろうか。なんとなく、母の匂いとは違った。

「あ、おかえり、兄貴」

 台所には紺色のエプロンを着けた哀音(かなと)がいた。

「今日は母さん遅いんだっけ」
「ん」

 「ん」って何だ「ん」って。もう少し反応があってもいいだろうと思ったが、食欲をそそる匂いに負ける。

 母さんには悪いが、彼の料理は美味い。たまにこうして母さんが遅い日は哀音が作って待っている。僕が作ることもあるが悪くもなければよくもないという微妙さなので、大抵彼に任せている。近くに行くと、芳ばしい香りもした。

「鮭あるっていうからムニエルにした」

 味噌汁にムニエル。和洋折衷というやつか。違うか。素直に焼き魚にしない辺りが哀音らしい。

「美味しそうだね」
「兄貴のためだからな」
「たまには父さんや母さんにもやってあげなよ」

 そう言うと、彼は()ねた。

 僕が近づくと、哀音はふとすんかすんかと鼻を動かす。

「兄貴? なんか別なやつの匂いがする」
「匂いって何さ。哀音犬じゃあるまいし」

 腑に落ちないという顔をされたが、僕は別段気にしなかった。哀音が仕方なさそうに調理に戻り、そういえばと切り出す。

「兄貴今日遅かったな。何かあったの?」
「勉強。家帰るとやる気なくすから」
「精が出ますね」

 弟の見事なまでの片言に、僕はじとっとした目を向ける。けれど彼はしれっと無視して、へらでフライパンに乗っている魚を返していた。バターの豊潤な香りが広がる。途端に食欲が戻ってくる。
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