青に染まる
二章
あの事件から、十七年。おれの兄貴汀相楽は、記憶喪失を起こしてしまった。親兄弟のことも満足に覚えていないのだという。
特に弟のおれは全く思い出してもらえなかった。あの事件からずっと、兄貴を支えていこうという決意でいたのに、おれを見る兄貴の目は変貌してしまった。
「ええと、君は、誰?」
目を覚ました兄貴の第一声におれがどんな想いをしたか。
兄貴をこんな風にした原因たるあいつは一回殴ってやったが、もう一度殴りたいくらいに悔しかった。けれど忘れてしまうことが兄貴の最善にもなりうる、と医師に言われた。
よく考えてみれば、そうだろう。兄貴はおれのことを忘れたが、あいつのことも忘れたのだ。それなら苦しんで絶食を続けていたあの頃より、ずっと楽であるにちがいない。
親父とお袋はほとんど赤の他人扱いにされるため、兄貴に顔を見せることはない。おれだけが、まだ淡い希望を持っているのだ。
兄貴は当初の予定通り、伯父の経営していた花屋を引き継いだ。伯父のことも覚えていないらしく、善意ある第三者として伯父は花屋を引き渡したという。
一年経って伯父が諦め、五年経って両親が諦めた。兄貴に思い出してもらうことを。
それが兄貴の幸せなら、とおれは何度も自分に言い聞かせた。けれど、おれの心は諦めてくれなかった。苦しいだけなのに。
特に弟のおれは全く思い出してもらえなかった。あの事件からずっと、兄貴を支えていこうという決意でいたのに、おれを見る兄貴の目は変貌してしまった。
「ええと、君は、誰?」
目を覚ました兄貴の第一声におれがどんな想いをしたか。
兄貴をこんな風にした原因たるあいつは一回殴ってやったが、もう一度殴りたいくらいに悔しかった。けれど忘れてしまうことが兄貴の最善にもなりうる、と医師に言われた。
よく考えてみれば、そうだろう。兄貴はおれのことを忘れたが、あいつのことも忘れたのだ。それなら苦しんで絶食を続けていたあの頃より、ずっと楽であるにちがいない。
親父とお袋はほとんど赤の他人扱いにされるため、兄貴に顔を見せることはない。おれだけが、まだ淡い希望を持っているのだ。
兄貴は当初の予定通り、伯父の経営していた花屋を引き継いだ。伯父のことも覚えていないらしく、善意ある第三者として伯父は花屋を引き渡したという。
一年経って伯父が諦め、五年経って両親が諦めた。兄貴に思い出してもらうことを。
それが兄貴の幸せなら、とおれは何度も自分に言い聞かせた。けれど、おれの心は諦めてくれなかった。苦しいだけなのに。