窓の中のラブストーリー
12月の半ばに差し掛かった土曜日。


その日は朝からこの冬一番の冷え込みでありました。

お昼時。

新しい看護師が、うっかり院内放送のスイッチを切り忘れたのでありましょう、ナースセンターからテレビの天気予報が流れ、夜には雪になる様なことを告げておりました。

老人はこの頃めっきりと口数が減り、眠ってばかりの日々でございました。

それでも目を覚ますと、時間に関係なく、妻に向かって、

『おはよう。また1日、お前といられるよ。有難い。』

と、話すのでした。

しかし、その日の夕方は少し違っておりました。


『もうお前も疲れただろう。今まで、本当に、ありがとう。お前がいてくれて、私は心から幸せだったよ。もう、こんなところまで来なくていいよ。本当に、ありがとう。』

妻に掛けた言葉は、それが最後でございました。



その夜、彼はもう一度だけ目を覚ましました。

もう一人の老人に別れを言う為でございます。

暖房のせいで少し曇った私。

その隙間に老人はいました。

『短い間でしたが、お世話になりました。私は今夜が最後の様です。私にはどういうわけか、ここは居心地が良く、幸せな最後を迎えることができそうです。』

私は老人の目をじっと見つめておりました。

そこには、妻への愛が溢れんばかり感じられ、幾つもの想い出が、浮かんで参りました。


老人も私の全てを目に焼き付けるかのように、見つめておりました。


するとふと、いつもどこか虚ろであった瞳が、ぱっと輝きを取り戻したのでございます。

そして、老人は私に、


『今まで、長い長い間、本当に、ありがとうございました。』

と言ったのでございます。

私の思い違いと笑われるかもしれませんが、その言葉は、私に向けられた様に、今でも思っているのでございます。


その後、老人は一人、静かに息を引き取りました。

その顔には、幸せそうな笑みが浮んでおりました。


冷たくなった老人の傍らで、一度も誰も座ることの無かった椅子が、いつもの様に、老人に寄り添っておりました。


外は、天気予報が告げていた通りの初雪。

老人は私の中をすり抜け、その空へと登って逝かれたのでございます。

すれ違い様に、ふと私の中で増えたはずの想い出が、少しだけ軽くなった様な気がしました。

遠くから聖歌隊の歌声が、聞こえておりました。
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