この景色を、君と何度も見たかった。

『元の日常に戻してください。』

何度も何度もそう祈りました。
こんな願いなど誰にも届かず毎日が過ぎました。

あぁそっか、神様など初めからいない。

殺られるやつが全て悪いんだ。

そう悟った15歳の9月でした。

※私の地域の中学校は隣の小学校と合同になります。

2017.04.14 《中学入学》
小学校から一緒だった親友とはクラスが離れたが、違う小学校の女の子2人組が声をかけてくれた。これから3人組になりそうだ。


2017.04.16
早速新しい友達と遊びに行った。
プリクラをとったりクレープを食べたり楽しかった。3人でも心地がいい。

2017.04.28
クラスでの立ち位置などだいたい決まってきた。何とか上位に居てられているのではないだろうか。 話せる友達も多いし、心強い2人がいる。よし、やっていける。 深く安心していた。

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入学したてという事もあり、学年全体のLINEや、クラスLINE、SNSが鳴り止まない。
この波に乗らなければ私の3年間が終わってしまう。

私は必死に沢山の人とやり取りをしていました。

自己紹介、タイムLINEのいいね、沢山繋がりを求めていたのでしょう。
そして自分は大丈夫だと数で安心させていました。

親友はまだスマホを持っていませんでした。
今思い返すと、この頃から少し輪に入れていなかったような気がします。

私は他人の事など気にしていられる余裕はありませんでした。

朝一緒に登校しているしいいか。くらいにしか気に止めていませんでした。

《もっと親友を気にしていたら》

今思うこのような気持ちは罪悪感と後悔から来るエゴなのでしょうか。

当時の私は優しい気持ちも無く,心のどこかで

《自分が上手くいっているからいいんだ。》

そう思っていた最低な人間でした。
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2017.05.15
仲が良かった隣のクラスの子がいじめられていた。
人が集まればここまで酷いことができるんだ。醜い人間だなと思うと共に小学生だった頃の自分を思い出した。


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小学生だった頃の私の周りでもいじめは沢山ありました。

私はずっと見て見ぬふりをし、いじめられている子に声をかけることもありませんでした。

今度は私がいじめられるかもしれないと思っていたからです。

先生も知らない顔をする人の方が多かったです。それに加え、私は内気で前に出て発言をすることなど全くできない性格でした。

小学校4年生の春、K先生と出会いました。
K先生は私が出会った中で唯一本音が言え、誰よりも熱い先生でした。
生徒一人一人と毎日交換日記をする先生でした。

その日の楽しかったこと、嫌だったこと、書いたことに本気で向き合い返事をくれる大好きな先生でした。

K先生と出会い内気な私は社交的な性格になれました。
今までの人生では考えられなかったクラスリーダーに立候補したり何事にも挑戦させてくれ、背中を押してくれるK先生の存在は私の人生を180度替えてくれました。

小学校6年生でもK先生が担任のクラスになれ、心の底から喜んだことを覚えています。

K先生は、児童委員会(生徒会のようなもの)に入らないかと言ってくれたり、私に人として必要な事を沢山教えてくださいました。

K先生は学級に馴染めない子をほっておかずに最後まで向き合っていました。

K先生が言った、

『あの子を見捨てないであげて欲しい。俺の子供が同じ目にあっていたら、加害者に頭を下げても仲間に入れてやって欲しいと頼む。あの子の気持ちを考えてあげて欲しい』

と涙を流しながら訴えかけていた言葉を私はずっと忘れられないでいたのです。

だから、隣のクラスの子がいじめられていることを目の前に、またK先生の事を思い出しました。
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2017.05.25
私と周りの友達は、担任のY先生にあの子、いじめられている。と言った。
Y先生はいじめていた子の親を呼んで話し合いの場を設けるなど本当に紳士的な対応をとってくれた。いじめが無くなることはなかった。
これは当たり前のことだ。
人の気持ちが分かる時は自分が同じことをされた時である。

私もそうだった。
その子へのいじめはずっと続いた。
ある日は石を投げつけられ、ある日はLINEのステメに悪口を書かれ、毎日のように本人に聞こえる声で
死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、お前なんか消えればいい、学校に来るな、なんで生きてるの、早く死んで?、ゴミ、来るな、キモイ、社会不適合者、やばい、何こいつ、誰?、みんな嫌いだよ、早くいなくなりなよ、害悪、きしょ、生きてる価値ある?、居てるだけで空気が汚れる、うわ目が合った、うわ、触られた、消えろ、消えろ、消えろ、消えろ、消えろ、消えろ、消えろ、消えろ、消えろ、消えろ、消えろ、消えろ、消えろ、消えろ、消えろ、消えろ、消えろ、消えろ、消えろ、消えろ、消えろ、消えろ、消えろ、消えろ、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、消えろ、消えろ、消えろ、消えろ、消えろ、消えろ、消えろ、消えろ、消えろ、消えろ、消えろ、消えろ、消えろ、消えろ、消えろ、消えろ、消えろ。

こんな言葉を浴びせられていた。
周りの人間も見て見ぬふりだった。
人は集団になればこんな言葉を吐くことさえ躊躇が無い。

いじめられている友達は毎日泣いていた。

もう楽になりたいと言っていた。


何も分かっていなかった私は、無責任な正義感を振り回しているだけだった。

《死なないで》

と言っていた。

私のこの言葉はあの子を苦しめていただけなのかもしれない。


《無理しないでね》

《生きて》

《明日も学校に来てね、待ってるよ》

《大丈夫?》

私やその周りが投げかけたこの言葉に
「嬉しい」と言っていたあの子の顔が笑っていなかった理由が今わかった気がする。

あの子にとってこの言葉は優しい言葉でも救いの言葉でも無かったのだろう。

あの時、死ぬことに同情してあげればよかったのだろうか。

何度考えても、同情してあげた方が良かったとは思えない。

だからといって何故、そう思うのか。
その理由も浮かばない。


【 こんなことがあり、一学期は終わった。】

クラスで球技大会があったり、友達と放課後遊んだりあっという間に一学期は終わりました。夏休みも3人で夏祭りにおそろコーデをして行ったりこの楽しい毎日がずっと続くのだと思っていました。

こんな一瞬の幸せは
夢幻泡影(むげんほうよう)に過ぎなかったのです。


2017.09.02 《2学期開始》
あれ、仲良かった二人の間に亀裂が入っていく。私はどちらかの味方をしないといけないらしい。もう3人になることは無いのだ。

2017.09.05
もう今までの3人組は無くなった。
2人組になった。私は1人になった訳では無いからどうでもいい。と思った。

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《1人を落として、毎日を楽しく過ごす。》
こんな事が許されるわけがありませんでした。

この頃から、地獄へのカウントダウンが少しずつ動き始めていたのでしょう。

私は大事なことに気づけなかった馬鹿でした。

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2017.09.25
私たちが仲間外れにした1人はクラスに友達がほぼ居無くなった。
クラスのみんなも

「あの子に昔こんな事された。」

とか 悪い噂が沢山広った。
私は、それが真実か嘘かなんてどうでもよかった。

【どんな思いだったのでしょうか。いきなり入ってきた私に小学校からの友達を取られる気持ちは。】


※ここからは、3人組のずっと一緒にいる子のことをNとして呼びます。



2017.09.28
Nは私に言った。

「3人でいた時から私と一緒にいたかった。小学校の時からあの子に虐められていた。仲間外れにしたと思えば仲間に入れたり。おもちゃのように扱われていた。」 と。

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こんなことを聞いた私は罪悪感など感じもしませんでした。

あの子を仲間外れにして良かった。

選ぶ相手を間違わずに済んだ。殺られるやつが悪いと自分を肯定しました。

隣のクラスのあの子をいじめていた本人もこのような気持ちだったのだろうと思います。

殺られないために必死だった私は、K先生の言葉も、中途半端な正義感も全て忘れてしまっていたのです。

そして、人の言うことを簡単に信じ、自分の見た世界が全てだと思っていた私は純粋かつ残酷な人間でした。
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2017.09.29
Nはあの子を私と一緒に仲間外れにしてどう思っていたのだろうか。
このタイミングでNは学校をよく休むようになった。
初めは体調が悪いと言っていたから、ただ「早く良くなってね」とだけ伝え、深くNのことを考えていなかった。


2017.09.30
学校にNが来た。
やっぱり体調が悪かっただけか。2017.10.01
あれ、学校にNが来ない。
また風邪らしい。

2017.10.02
Nが来ない。
1日中連絡が取れなかった。2017.10.03
またNが来ない。
やっと連絡が来た。

「ごめん、明日は行く」

私は

「分かった。待ってる」

とだけ連絡した。

Nは明日来るらしい。

うーん。そっか。


来てくれるよな…。考えすぎか、、。


【でも、何故か嫌な予感がした。】

2017.10.04〜10
Nが来ない。
やっぱり、嫌な予感は的中した。
何故だろう。LINEもあまり返ってこない。


【 来ない、来ない、来ない、来ない、来ない、何で、なんで、なんで、私は呪文のように頭の中がそれでいっぱいだった。焦っていた。不安だった。】


2017.10.12
Nと遊ぶ約束をした。
Nは学校に来ていなかったが遊ぶ約束をすると会ってくれる。
もうすぐウォークラリーがある。一緒にリュックサックを買いに行った。
多分来てくれるだろう。確信が持てない私はずっと当日まで不安だった。


2017.10.15
今日は全校一斉に10キロの道のりを歩くウォークラリーの日。
やっとこの日が来た。
Nは来た。
ずっと不安だった私は安心した。

Nと楽しく歩いていると、男の先輩4人グループに声をかけられた。

その中の一人、R先輩とNは、インスタで何度か話した事があるみたいだ。
そして何故か一緒にゴールまで行くことになった。
話しやすくてとても面白かったし、何よりも優しい先輩たちだった。

その中の一人、R先輩のことをNは気になっているようだ。
これが本当なら私は応援したいと思う。

《Nが幸せになってくれるなら。》

と本当に思っていた。


2017.10.16
Nは学校に来た。

「R先輩と出逢えるかなぁ」

なんて言いながら楽しそうにしていた。

Nが学校に来てくれるなら、楽しいのなら、幸せならそれで良かった。


2017.10.17
今日もNは学校に来た。
でも、
担任の教師Y先生はNのことを馬鹿にした。
授業中の事だった。
「Nさんはまぁできないだろう。まぁいいよ、できない人に何言っても出来ないやろうし笑笑」
クラス中は笑っていた。Nも笑っていた。


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Nが無理して笑ったように見えました。
でも笑っていたので私はこの事について何もNに聞きませんでした。

Y先生は嫌な生徒のことを馬鹿にしたり、みんなの前でいじりのネタにするような先生でした。

Nはよくいじりの対象でした。だんだんいじりより悪意の方が勝っているように感じました。

Nは

「Y先生のことが苦手だ。Y先生も私のことが嫌いなんだろう。」 と言っていました。

Y先生とNのことを見ていた私はNの言ったことを否定できませんでした。

嘘でも否定していれば、安定した日々は守られていたのでしょうか。

Nがせっかく学校に来てくれているのに、こんなにも私が必死に来てくれるように頑張っているのに、そんなことも知らないで簡単にNの事を傷つけるY先生の事をとても恨みました。

私はずっとずっと許せないと思っていました。

隣のクラスのあの子を助けてくれたY先生の姿など私の記憶から一瞬にして消え、この日から私の中でのY先生はNを追い詰めようとする最悪な先生となりました。
期待していたものが思い通りにいかないと、

裏切られた。失望した。最悪だった。

と悪い記憶やイメージに書き換え、

期待していた通りになれば、

希望だ、最高だ、流石だ、

などと褒め讃える。

人間は何故こんなにも都合がいいのでしょうか。

こんな、答えが出ないような疑問を持つ私がおかしいのでしょうか。
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-2017.11.01
Nがほとんど学校に来なくなった。
Nのことが気になる。朝迎えに行こう。


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《先に行っといて、当分Nと行く。》 と最近スマホを持ち始めた親友にLINEしました。

この時、親友の気持ちなど何も考えていませんでした。

顔が見えないSNSは、大事なことに気づかせてくれません。

これが誹謗中傷が無くならない世界の核となる部分なのでしょうか。

相手が目の前に居ないだけで、これほど人間は心を失うものなのでしょうか。

今までの相手から貰った優しさも一瞬のうちに忘れてしまう私は、どうしようも無い冷たい人間だったと今となって思います。
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2017.11...
Nが来なくなり何日がたったのだろう。
毎朝家に迎えに行ったが応答はない。
たまに、
「ごめん。起きられないから先に行っておいて欲しい」 とインターホンを通して言われるくらいだ。

LINEでは、

「明日は行けるかも」

「途中から行くから待ってて」

など学校で待っている私に期待させる言葉ばかりが並んでいる。

馬鹿な私はその言葉を毎日信じ続けた。


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《なんで来ないんだ》 と思っていました。

Nが学校に来ない理由の心当たりは沢山ありました。

Y先生のこと。
Nが行っていた部活でのこと。
違うクラスの悪女YUの事。
R先輩との関係。
ずっとずっと考えていました。

答えなど見つかるはずも無く、ただただ待つことしか出来ませんでした。

何も気づいていない私は親友としたLINEのこともすっかり忘れていました。

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2017.11...
親友が怒っていた。今にも泣きそうな顔をしていた。

私はNの事で精一杯でイライラしていたので「何?」と冷たく聞いた。

親友は
「朝一緒に登校してたのに何で」と怒った。

もうどうでもよかった私は
「Nと行きたいからもういい?」と突き放した言い方をした。

親友は
「もういい。そんなに自分のことが嫌いなら話しかけてくるな」と言ってどこかに行った。

--------------------------------------------------------私は最低な人間でNのことを心配しているようで自分のことしか考えられていない偽善者なのです。

《Nが来ないと自分が1人になるかもしれない。》

そんな不安に駆られていたのです。

この時の私は他クラスの親友などどうでも良かったのでしょう。

だから、「もういい」とどこかに行ってしまった親友のことを追いかけなかったのです。
すぐに謝らなかったのです。
何も考えなかったのです。
そして、

《まぁいいか、時間が経てばまた仲直り出来る》

と軽く思っていました。

どこまで行っても最低な人間です。

何気ないことで喧嘩できる親友が当たり前のようにいる学校、環境がどれほど幸せな事か当たり前のことでは無いのか気づけずにいました。

当時の私は気づけないことが沢山ありました。

だから17歳になった今後悔をするばかりの過去に苦しめられているのです。

全て自分が悪いのです。

読んでいるあなたの同情など要らないのです。

むしろ私を 責め立てて壊して欲しいのです。
そうすれば少しは楽になれるかもしれません。

まだこのように希望を抱いてる私の存在はあなたの目にどう写っているのでしょうか。

どうか教えてください____。
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2017.12.01
部活が一緒だった親友と話す機会があった。
私は謝った。親友は許してくれた。


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許してくれた親友をこれからはもっと大切にしよう。と私なりに強く思いました。

私にとって親友はどんなときもそばに居てくれる存在でした。

本当に大好きでした。

Nのことしか考えていない私は、親友が大好きだという気持ちも忘れていました。

たとえウザがられたとしても、もっともっと大切だという気持ちを伝えていれば、と後悔した時には手遅れでした。

本当にごめん。

こんな気持ちも遅いのです。
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-2017.12.02
この頃、Nはほとんど学校に来ていなかった。
私はただ待つだけだった。

2017.12.04
NからLINEが来た。
何かと思えばR先輩の事だった。
R先輩もよく学校を休んでいるらしい。
今度学校を休んで遊びに行く約束をしたとLINEがあった時、
《Nにとって私はどうでもいいのかもしれない。》 と不意に思ってしまった。

この時感じた違和感をスルーせずにしっかり考えていればもっとマシな3年間を送れていただろうか。2017.12.05
Nが来なくても私には一緒に居てくれる友達が居た。
でも私はNが1番だった。
一緒にいてくれる友達がいても1人のような気がしていた。

これは、私のわがままだろうか。
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Nが来ないと1人になる私と、仲良くしてくれる友達が居た私はとても幸せでした。

こんな優しい友達の存在がどれだけ私の救いだったか、どれだけ幸せな環境だったか、自分で気づいたのは地獄の日々を味わった後でした。

余りにも遅すぎる気づきでした。

当時の私はNが1番で、それ以外はどうでも良かったのだろうと思います。

愛執染着な私から抜け出せそうにないのです。

何か、今までの自分とは違う不思議な感覚でした。

自分の中で何かが崩れてゆく合図だったのでしょう。

当時の私はこんなことに気づけるほど余裕はなかったのです。

Nに依存していたのです。
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2017.12.23
今日は終業式だ。Nが来た。
その後カラオケに行った。やっぱりNと居る時間が何よりも楽しい。

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Nは言った。
「悪女YUにカラオケによく誘われるのだ」と。

Nは人前で歌うことが苦手ということを知って悪女YUはカラオケに誘っていた。
Nは私の前や、幼なじみの前では歌うが、悪女YUの前では歌わなかった。
悪女YUは、カラオケ代やご飯代をNに払わせるためだけに誘っていたのだ。

周りには
「Nも誘ってあげよう!」
と悪女YUはいい子ぶっていた。

私は心底それに気づいていない人間にムカついていた。

Nは可哀想だった。

学校に来ることが憂鬱なNをこれ以上追い込まないで欲しいと思った。
悪女YUにこんな私の願いが届くはずもなかった。
《 地獄のに落ちろ、お前のことを一生許さない。》 悪女YUを見つける度そう思っていた。

悪女YUがいてもいなくてもNが学校に来ない事は初めから決まっていたのかもしれない。

17歳の今そう思った。
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-2017.12.24
またNと遊んだ。Nは学校にはあまり来ないが遊びに誘うと来てくれる。
Nと居れるなら私はそれで良かった。
2017 ...

《Nが来なくなってからNと話した事》

ここで読んでくれている貴方に当時、Nと話していた内容を少し伝えようと思います。

Nはやはり学校に来れないと言いました。でも、その理由は沢山ありました。
今思うと、NはNで苦しんでいたのだろうと思います。

休み癖が着いてしまったこと。
休むようになった引き金として悪女YUの存在があったこと。
家庭環境が複雑であること。
Y先生の事が苦手なこと。

この時の私にとってNの言う理由は言い訳にしか聞こえませんでした。自分のことしか考えていない結果このような思考になったのだと思います。
Nの立場など考えていなかったのです。

悪女YUは、Nからよくお金を取っていました。
関わりもなかった私のありもしない噂も広めました。

私とNは心底悪女YUのことを嫌っていました。

嫌いという感情よりも恨みや憎しみの方が強かったことを覚えています。

この気持ちは何年か経った今も変わりません。いつ思い出しても悪女YUを思い出すと心の底から地獄に落ちてしまえと強く願ってしまいます。

これは私が小さいのでしょうか。
あの時の感情からどうしても抜け出せないのです。

悪女YUの存在は

《関わりがなくても他人は敵だ》

という現実を私の心に深く刻んだのでした。
私は他人を信用する事に抵抗を覚えるようになりました。2017.12.28
もうすぐ今年も終わりだ。
Nが来なくなったこともどうでも良くなるくらい何となく楽しかった1年だった。
まぁ友達もそこそこ居て、Nが学校来ないことを無視すれば結構充実していたと思う。
親友とも沢山遊んで、部活も上手くいっている。部活の先輩と沢山遊べたり楽しかった。

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この時の私は、あの日黄昏時に見た夕焼けを思い出すような穏やかな気持ちでした。
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2018.01.07《3学期開始》
Nが来た。嬉しかった。

2018.02.01
3学期が始まって1ヶ月。
Nはほとんど学校に来た。

2018.03...《3学期終了》
何とか1年生は終わった。
3学期、Nは学校によく来ていたので何も無く終わった。
2年になってもNと同じクラスになるかは分からないが良いクラスになることを願おう。
NはY先生とクラスが離れることを喜んでいた。嬉しそうだった。

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呆気なく三学期は終わりました。この頃TikTokが流行し始め、Nと私は動画を撮って遊んだりしていました。
やはりNのノリの良さや面白さは1番で二人の時間が何よりも楽く幸せでした。

Nはとても信用できる人だったので、一緒にいるだけで安心出来ました。

こんな私の本音を、もっと早くNに伝えられることが出来ていたなら、、と後悔だけが募ってゆくのです。

親友やNの存在が当たり前ではないこと。これに気づけない私は未熟でした。
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2018.04.06《中学2年生開始》
Nは来なかった。体調が悪いそうだ。
Nと私は同じクラスだった。安心した。
N以外のクラスメイトとは何度か話したことがあるくらいの子しか居なかった。
親友とはまた離れた。
でも私にはNがいるから他はどうでも良かった。
一つだけ最悪なことがあった。
担任がまたY先生だった。
Nになんといえばいいのだろう。


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この時私は、Y先生に対して敵意や憎しみの感情はありませんでした。
無茶苦茶ないじりなどがあったことは沢山ありましたが、Y先生のいじりのターゲットが私に来ることは無かったので、正直嫌だとも思いませんでした。逆に○○先生が担任より当たりじゃんと軽く思っていました。
この気持ちに、Nのことを真剣に考えていない私の本心が全て現れていると思います。
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大きく動いたのはここだ。全てはここだ。
地獄の始まりのスタートラインは。
中学一年生の後半などスタートラインまでの助走に過ぎなかった。

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私はNにLINEで同じクラスだったこと、担任がまたY先生だったこと、幸いにも悪女YUとはクラスが離れたことを伝えました。
Nは私と同じクラスでよかったと言ってくれました。

「Y先生のことは嫌だけれどなんとかなるかなぁ」 と不安そうに言ってました。
明日から学校に来ると言ったNの言葉に私は深く安心をしました。
Nが抱えている不安な気持ちを無視していました。
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2018.04.20
Nがまた来なくなった。

【どうしよう…。】

【Nがいないと友達が居ない…。】

2018.04.25
Nは来ない。


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毎朝、Nのことを迎えに行きました。
インターホンを鳴らしても応答がない日々が続きました。
家に帰ってLINEを開けるとNから

「ごめん、出れへんくて」

と私がインターホンを鳴らした後に送ったであろうメッセージがほとんど毎日届いてあります。

心の中では、

《なんで、出てくれないの?Nが来ないと私1人なんだよ。》

と何度も何度も思っていました。

でも弱い私はNに

「大丈夫!明日は来れそう?」

と送ります。

Nは決まって

「多分行ける」

と言います。

私はその言葉を信じ、また次の日も

《今日は来てくれるかもしれない》

という淡い期待を抱いてインターホンの前に立ちます。

このなんとも言えない苦しさはとても重く、私の心の奥を突き刺してきます。

そして眠りにやっと着けたかと思えば、毎晩空を飛ぶ夢を見るのです。
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2018.05.01
もうすぐ職場体験だ。
多分Nは来てくれる。
Nは行事ごとを休んだことは無かったから、何故か自信があった。

2018.05.03
職場体験のペアはNと2人になった。
何故かあまり嬉しくなかった。泣きたくなった。

2018.05.04
職場体験先の担当の方に電話しないといけない日だった。Nは来ない。
周りの子達は仲のいい子と一緒に
「なんて話す??」と楽しそうに話していて、羨ましかった。

《 私、Nの分まで仕事するから明日は学校に来て。お願い。》

と心の中で祈った。馬鹿みたい。
惨めだった。

2018.05.06
Nは来ない。
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