恋人の木
『た、武、冗談だよ。いきなり怒るなよ。まったく。冗談とはいえ、確かに悪かった。すまん。』

秀樹も、坂本楓の身の上は不憫に思っており、彼女の優しさや性格の良さは理解していたのである。

そんな風に彼女を呼んだことはなかった。

酔った勢いの冗談である。

『いやいや、まいったな。生徒会長さんも世間の荒波にもまれ、ずいぶんとたくましくなったようだ。ハハハ。みんな、何でもねぇから、気にしないで続けてくれ。』

秀樹が、相変わらず調子の良い笑顔で、その場を繕う。


『秀樹、ごめん。そんなつもりはなかったんだ。』

『いや、悪いのは俺の方だ。すまん。ところで、どうやら「マジ」の様だな。』

武志は目でうなづいた。


『そう言えば、お前は、卒業式の日に、彼女のアパートへ行ったんだろ?』



~卒業式当日~

楓は学校には現れなかった。

彼女が中学を休んだのは、それが最初で最後であった。


式の後、担当の藤原が、一番親しそうにしていた武志の元へ来て、卒業証書を彼女に届けてくれる様に委ねた。

友達や先生との別れの挨拶やスナップ撮影が済んだ後、武志は彼女のアパートへ行ってみたのである。

2階建てのボロボロの小さなアパートの一階にその部屋はあった。

郵便受けには幾つかの封筒が挟まったままで、ドアや壁には、落書きや「取り立て」の張り紙がしてあった。


そこには、もう彼女はいなかった。

夜中のうちに父親と二人、夜逃げしたのである。

武志は、そのドアの前に座り込み、暗くなるまで泣いたのであった。



『武、お前は彼女がその後どうなったか知ってんのか?今回の企画では、結局居場所が分からず、彼女には連絡できていないんだ。』

武志も彼なりに、探してはみたが、分かるはずはなかった。
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