恋人の木
武志も、顔のことが気にならないと言ったら嘘ではあるが、彼女からにじみ出る優しさや、その振る舞いに好感を持っていたのである。

この頃から既に、本当の「美」に対するセンスが花開いていたのかも知れない。

楓は、そんな武志に、当然のことの様に惹かれていた。

が、人気のある彼に、こんな顔の自分が、想いを告げられるはずはなかった。


その日の彼女は、いつも以上に静かであった。

影が薄いといった方が良いかもしれない。

思いつめた様な顔で、「恋人の木」を見つめていた。

武志は、いつもと違う彼女に、朝から気付いていた。


放課後、教室に忘れ物を取りに来た武志は、楓の机に荷物が置きっぱなしであることに気付いた。

明日が卒業式であるため、他の生徒たちの机はもう空っぽである。

不思議に思いながらも、帰ろうとしたところへ、彼女が入ってきた。


『あ、楓さん、忘れ物を取りにきたんだね。』

彼女は、無言でゆっくり近づいてきた。

『うん・・・。大事な忘れ物を取りに来たの。』

『だよね。実は僕もなんだ。明日、挨拶する原稿を置き忘れてて。』

笑おうとしたが、彼女の真剣な眼差しが、それをさせなかった。

『武志君。お願いがあるの。ボタン・・・1つ・・・ください。』

目に涙を溜めた彼女。

もとより、武志に断る理由はなかった。


『せっかちだなぁ。式は明日だけど、いいよ。僕のなんかでいいなら。どうぞ。』

武志は、第二ボタンをちぎり、彼女に渡した。

『ありがとう。武志君。』


うつむいた彼女の足元に、ポツポツと、涙が落ちていた。


『今まで、本当にありがとう。優しくしてくれてありがとう。普通に話してくれてありがとう。いっしょにお弁当も食べてくれてありがとう。ちゃんと私の顔を見てくれてありがとう。本当に・・・ありがとう。』

今までしまっておいた、たくさんの想いが、一気に溢れ出していた。


『楓さん・・・そんなこといいよ。だって・・・だって楓さんは、こんなに優しくて、素敵じゃないか。』

彼女は、涙でぐしゃぐしゃの顔を上げて、笑った。

彼女の笑い顔を、この時、初めて見た。


武志は、今でもあの笑顔を忘れていない。


『ありがとう。武志君のこと、私、絶対に忘れない。さようなら。』

そう言って、彼女は、荷物を残したまま、走り去って言った。


彼女を見たのは、それが最後であった。
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