いっそ、君が欲しいと言えたなら~冷徹御曹司は政略妻を深く激しく愛したい~
「こちらをどうぞお使いください。お顔や手が濡れたままでは落ちきませんよね。髪も少しお拭きになった方がいいかと思います。髪が濡れているとお顔に垂れてしまいますから」

 彼が身体を向けたのに合わせて、正面から顔を合わせる。史織がわずかに目を見開いた時、持っていたタオルが取られた。

「ありがとう」

 小声ながらしっかりとしたトーンで、聡明な声だ。声もそうだが、正面から見た彼の瞳がとても澄んでいて……それに負けないくらい、綺麗な顔をしている。

 少し、驚いてしまった。

「……ノベルティ?」

 史織と同じように両手でタオルを広げて持った彼が、ポツリと呟く。渡したタオルはgateau gateauが十周年を迎えた際に作られたノベルティのひとつだ。

「すみません。貴重なものを、私などのために出していただいて……」

 彼がどーんっと沈んでしまったような気がして、史織は慌てて身体の前で両手を振る。

「気にしないでくださいっ。これ、印刷がずれたりして使えないからお店用にしていたやつで……、ですが未使用のものですので、安心してお使いください。なんならまだありますから」

 カウンターの下に入れてあったものをパッケージから出して持ってきたのだ。ケーキ柄がデザインされてはいるが店名が大きく書いてあるわけでもないのに、ノベルティだとわかったのは目ざとい。

「よくノベルティだとわかりましたね。あっ、もしかして、このタオル、持っていらっしゃるとか……」

「いいえ。初めて入ったお店なので」

「そうですか、目に留めていただけて嬉しいです。ぜひ今後もお気軽にご来店くださいね」

 彼のテンションは相変わらず低めだが、史織はいつもの調子で話をする。板についている笑顔が自然と出てきた。

 歩けば水の軌跡ができるくらいにずぶ濡れで入ってきた時には、いやがらせか、それとも変質者か、と身構えもしたが、彼が醸し出す雰囲気に惹かれ話しかけてみてよかった。

 タオルを受け取ってくれたことや、ちゃんとお礼を言ってくれたこと。それらがさらに安心感をくれた気がする。

 彼は「使わせてもらいます」と口にして、四つ折りにしたタオルで前髪をかき上げるように雨を拭う。前髪で隠れ気味になっていた顔がはっきりと見えると、綺麗な顔だなと感じていたゲージが一気に上がった。
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