いっそ、君が欲しいと言えたなら~冷徹御曹司は政略妻を深く激しく愛したい~
(ホントに綺麗な男の人。モデルさんとかなのかな)

 男性的ではあるのだが、とても整った顔立ちの美丈夫だ。スーツも三つ揃えで、こんなに濡れていても型崩れせず彼の身体を包んでいる。靴や時計からもセンスのよさが窺えた。

 どこかのお金持ちがふらっと入ってきたというところだろうか。なににせよ、問題がありそうな客ではないだろう。

「随分と優しいことを言ってくれるんですね。私のような人間は、ご迷惑でしょう」

「そんなことはございませんよ。入ったことのない当店に目を留めてくださった。これはとても素敵なご縁です。お客様とのご縁が続くと嬉しいと、わたしは思います」

 タオルで首元を拭っていた彼は、少し驚いた顔をする。初めて表情が動いたのを見て史織も驚きそうになったが、グッとこらえた。

 おまけに彼は、困ったように微かな笑みを浮かべたのだ。

「あなたのように若い方から、ヴァンドゥーズのような言葉を聞くとは思いませんでした」

 この人は、もしかしたら製菓業に詳しい人なのかもしれない。

 普通の人はあまりヴァンドゥーズという言葉は使わない。知らない人の方が多いだろう。

 ヴァンドゥーズは製菓の専門的な知識と接客技術が認められた販売員に与えられる称号で、毎年認定試験も行われている。

 密かに史織も目指してみたいと考えているものだ。

「お褒めいただき光栄です。そこまでスキルを磨けるよう頑張りたいです。それではお客様、ヴァンドゥーズを目指すわたしがお薦めする、当店のショーケースをご覧になりませんか?」

「ショーケース、ですか?」

「はい、当店自慢のパティシエの力作が並んでおります。色とりどり、鮮やかでかわいくて美麗、見ているだけで楽しくなりますよ」

 少しずつ普通に話してくれるようになった彼は、表情も浮かぶようになってきた。それが嬉しくて史織の声も張りが出てくる。右手をショーケース側に向けて彼の視線をうながしてみた。

 顔が動けばこっちのものだ。

 彼の視線の前に出て、さあ、どうぞと先へ進む。

 うまくショーケースの前に誘導したところで、ずっと見守っていたらしいパティシエ、兼、店長の入江と目が合った。
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