いっそ、君が欲しいと言えたなら~冷徹御曹司は政略妻を深く激しく愛したい~
「……甘い」

 史織はにこりと微笑んだ。

「きっと体も温まります。どうか温かいうちに着替えをされてください。このままでは冷えるばかりです」

 飲めるとわかった勢いでレモネードを一気に飲んでしまった彼は、すかさず手を出した史織に空のカップを渡す。

 まぶたをゆるめて、ホッとおだやかな顔を見せてくれた。

「今、タクシーを店の前に呼びますね。幸い駅が近いのですぐに来ますよ」

「いいえ、結構です。その駅に会社の車を待たせているので」

「駅にですか?」

「ええ。その車に乗りたくなくて……逃げてきたのです。予想以上の雨でびしょ濡れになりましたが」

 微笑みながら『逃げてきた』と言われても冗談としか思えないが、彼の微笑みが嬉しくて納得してしまう。彼はその顔のまま窓から外に目を向けた。

「それに、雨もやんできたようです。そろそろ、どこへ行ったのかと電話が鳴りだすと思いますし、急いで戻ります」

 見ると本当に雨がやみかかって、雲が薄くなったところから青空が顔を出しかかっている。

「……気持ちが落ち着いたら、雨がやむなんて。ここに来てよかった」

 その言葉は、聞かせるために呟いたのではないと思う。

 史織も特に言葉は返さなかったが、胸の奥がぎゅうっと締めつけられて、温かくなった。

「ありがとう。また来ます」

「お待ちしています」

「必ず……来ますから。必ず」

 彼は必ずを繰り返し、店を出る。そのうしろ姿が、店に入ってきた時より大きく見えた。

 なにか遣る瀬ない気持ちをかかえて雨に迷った人。

 彼の心の雨をやませてあげられたような気がして、史織は自惚れでも嬉しかった。

「お待ちしています」

 呟いて、彼が出ていったドアに頭を下げる。

 そのまま青空が広がり、その日、梅雨が明けた。

 ――それが、彼、烏丸泰章との出会いだったのである。
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