いっそ、君が欲しいと言えたなら~冷徹御曹司は政略妻を深く激しく愛したい~
 いい職場に恵まれたと思う。バイト先の話はよく母にもしていたので、自分が出ていっても史織には力になってくれる人がたくさんいると安心したのかもしれない。

 いつか、なにげなくハガキの一枚くらいはくれるんじゃないか……、そんな期待をしていたように思う。

「母が……今どこにいるのかはわかっているんですか?」

 おそるおそる聞いてみる。もしかしたら会えるかもしれない。そんな不確定な可能性が頭にちらついた。

 娘が蒸発した母に会いたがっている。福田はそう感じたのだろう。気の毒そうに眉を寄せた。

「居場所はわかってはいません。相手の男性とは別れたようで、その男性が見つかったことで今回の運びになりました。既婚者でしたし、彼が姿を消したことで家庭も会社も大打撃を受けた。お子様たちはもとより、ご親族も相手の女性を告訴したいと」

 脳天から冷水をかけられた気分だ。一気に身体の表面が冷えて頭痛がする。

 不倫をした女性が男性側の家族に訴えられるという話は聞いたことがある。しかし当人は見つかっていない。それで家族である史織に連絡がきたのだろう。

「当事者である男性は、騒ぎを起こしてしまったということで烏丸家とは絶縁を申し出ました。もともと婿養子であったため、認められましたが……。お子様もご親族の皆様も、それだけでは気が収まらないというところです」

「烏丸……」

 その言葉だけが耳に残った。あまりにも気になりすぎる苗字だった。

 あるようで、なかなか触れる機会の少ない苗字だと思う。泰章を思いだすものの、こんな大変な問題と結びつけるのがいやで無理やり思考からそらした。

 福田はずっと無言で座っている女性に顔を向け、手で示した。

「こちら、当事者である男性の娘さんです。烏丸薫(かおる)さん。本日は、のちほどお兄さんもいらっしゃる予定です」

「あ……」

 史織は慌てて立ち上がり、女性に向かって頭を下げる。やはり家族だった。なにを言えばいいのだろう。「このたびは母が」とか謝るのが正解なのだろうか。

 知らなかったこととはいえ、やはり親子なのだから謝るべきなのだろう。だが、動揺しているせいか、母が既婚者と蒸発していたという事実がショックなせいか、言葉がなかなか出てこない。

「……黙って聞いていれば……、随分とかわいそうアピールがうまいのね……」

 彼女の声らしきものが聞こえて顔を上げる。史織を見てふっと口角を上げた薫は、怒鳴りだしたいのを抑えているかのように声を震わせた。
< 28 / 108 >

この作品をシェア

pagetop