いっそ、君が欲しいと言えたなら~冷徹御曹司は政略妻を深く激しく愛したい~
「母親が、どんな男とつきあっているかも知らない、出ていった理由も知らない、それなのに、どうしてこんなところに呼ばれなくちゃならないんですか、わたしがなにをしたっていうんですか。わたしは無関係です。……そうやって泣き叫びたくてたまらないんでしょう?」

「そんなことは……」

「被害者ぶらないで。泣き叫びたいのはこっちよ……。あなたの母親がお父様をたぶらかしていなくなったおかげで、どれだけ大変な思いをしたと思っているの。いきなり会社の社長がいなくなったのよ。社内の混乱を回避するだけでも、どれだけお兄様や伯父様たちが奔走したか……」

「会社の……社長……」

 思わず呟いてしまった。相手の男性がどんな仕事をしていたかなんて考えていなかった。一緒に姿を消したのが既婚者だったというのも今知ったのに、そこまで頭が回らない。

 驚いた顔をする史織に、福田が補足してくれた。

「『KRMホールディングス』をご存じですか? 今回訴えを起こしたいと言われているのがそちらの創業者一族の方で……。中山さんのお母様は、当時社長だった男性と姿を消したのですよ」

 冷水どころじゃない。氷柱を背中に挿し込まれたような寒気が全身を襲った。

 KRMホールディングスは、史織が知っているだけでも全国展開している有名な洋菓子店を持つ会社だ。企業コラボも多く、ベーカリーやレストランチェーンも展開している。

 そんな大きな会社の、それも社長などという人と自分の母が恋愛関係にあったなんて信じられない。男性がその地位を捨ててまで姿を消したのなら、それだけ母を愛していたということなのだろうか。

 蒸発する直前まで、母は高級クラブで働いていた。会員制で限られた人だけが入店できる店だ。――知り合うきっかけは、充分にあるのかもしれない。

 ずっと黙っていたが、口を開いたことで言いたいことが一気に湧きだしてきたらしい。薫の口調が早くなる。

「お父様がいなくなって、お母様は病床に伏してしまわれた。母親がいなくなってものうのうと暮らしていたようなあなたにはわからないでしょうね! あなたの母親のせいで……私たち家族や会社が、どれだけ迷惑をこうむったと思っているの!」

「申し訳ございません!」

 息苦しさに負けて、史織は深く頭を下げる。なんてことだろう、ひとつの家庭を困らせただけではない。企業単位の大きな組織を混乱に陥れたのだ。
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