いっそ、君が欲しいと言えたなら~冷徹御曹司は政略妻を深く激しく愛したい~
 結婚準備は急ピッチで進んでいた。……ようだ。

 挙式までは一カ月しかない。準備や打ち合わせで目の回るような忙しさになると思っていた。

 準備も手続きも、すべて烏丸家の方でやってくれるという。史織は毎日アパートから仕事へ行って、帰ってご飯を食べて寝て……。普段とまったく変わらない生活を送った。

 変わったといえば、泰章が火曜日以外も誘いにくるようになったということ。

「適当な食事をして、花嫁が当日みすぼらしいのはいただけない。しっかり食べて栄養を摂って、肌艶よくなっておけ」

 ……失礼な話である。

 史織は自炊派で、これでも栄養には気を遣っている。肌艶がいいかは不明だが、肌質で悩んだ経験はない。

 言い返してやりたくても、言葉が出なかった。

 それならもう誘わなくていいなと言われたらいやだ。そう言ってごねる、我が儘な史織がいる。

 おかしなことにはなってしまったものの、泰章に会えるのは嬉しいし、彼と一緒にいる時間は特別気持ちが明るくなる。

 やっぱり、泰章が好きなのだ。

 以前よりは会話もないし、話しかたも淡々としていて、態度も、雰囲気も、随分と違う。それでも、彼といると胸の奥が温かくなる。アパートに帰った後は、彼を思いだして泣きたくなってくる。

 結婚準備で史織がしたのは、最低限の私物をまとめ、婚姻届にサインをすることだけ。

 アパートの後片付けも、泰章が手配してくれた。ホームセンターやリサイクル店でそろえた家具や食器は、すべて処分され、史織お気に入りの空間はあっという間になくなってしまった。

 挙式後から、史織は烏丸邸に住むことになるのだ。

 そして迎えた、十月吉日。挙式当日。

 急ごしらえの結婚なので、披露宴などは省かれる。それでも烏丸家親族とその関係者の他、取引先大企業の社長や重役などが参列者に名を連ね、大規模なものとなった。

 一部の参列者は前社長が失踪した後の混乱を知っている。史織がその原因を作った女の娘だということも知っている。

 さらし者か見世物になる気分だが、それも仕方がない。これだけ外部の人間がいれば、挙式の最中に刺されるようなこともないだろう。
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