いっそ、君が欲しいと言えたなら~冷徹御曹司は政略妻を深く激しく愛したい~
 刹那、泰章が眉をひそめた気がする。なにか気に障ることを言ってしまっただろうか。気にしかかった時、彼は踵を返した。

「そうだな、せいぜい、ヘマはするな」

「はい」

 彼はそのままブライズルームを出ていく。姿が消えてから、もう少し彼の姿を眺めていたかったと瞳が我が儘になった。

(素敵だったな……泰章さん……)

 思い返すとドキドキしてくる。頬が温かくなって、幸せな気持ちになった。

 ――こんな形での結婚じゃなかったら、きっと、もっと幸せだった……。

 せっかくのメイクが崩れてはいけない。浮かびかける涙を振り切るために、史織は心の憂いを無理やり胸の奥に閉じ込めた。



 式のあいだ、氷のような視線と重圧に耐えられるだろうかと不安になった史織だったが、そのすべては杞憂に終わった。

 いつも以上に素敵な泰章が隣にいる。彼と結婚式に臨んでいるのだという想いが、史織に泰章だけを意識させた。

 正直、気が付いたら終わっていたという感覚が正しい。

「あの……泰章さん」

 挙式後、エレベーターの中で史織はやっと口を開く。彼に話しかけるために口を開くのはブライズルームで話した以来かもしれない。

「この後、どこへ……?」

 結婚式を挙げたふたりが、式の後に向かう場所といえば見当はつくが、なにぶん史織は予定というものをまったく知らされていないので、いちいち聞かないと正確なところがわからないのだ。

「今夜泊まる部屋だ。このホテルで一番いい部屋らしいから、寝心地はいいだろう。明日のチェックアウトは正午過ぎだから、ゆっくりできる」

「そ、そうですか……」

 声がひっくり返りそうになった。これは実質、初夜というものではないのか。

 とはいえ、そういう夫婦らしいことが本当にあるのかなんてわからない。彼は史織を好きなわけではないし、ただ責任をとらせる代償として、体裁のために妻にした女など興味はないだろう。

 エレベーターを降りた途端に身体がふわりと浮き、何事かとあたふたする間もなく、泰章にお姫様抱っこで抱きかかえられているというとんでもない状態を理解した。

「や、泰章さっ……」

「なんだ」
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