いっそ、君が欲しいと言えたなら~冷徹御曹司は政略妻を深く激しく愛したい~
 目の前で、にこりと微笑む彼女。

 ――やっぱり君は、天使なのかもしれない。

 いつの間にか、体内をドロドロと流れていた淀みが浄化されている。視界に入った外の景色に雨の気配はなかった。

「……気持ちが落ち着いたら、雨がやむなんて。ここに来てよかった」

 本心だった。

 ここに来てよかった。

 彼女に会えて、よかった。

 ――それが、史織だったのである。

 必ずまた来ると言って店を出たが、次に泰章が店に行けたのは、ひと月も後だった。

 何度も行きたいと思ったが、仕事の都合がつかず足を向けることができなかった。彼女はまだ店で働いているだろうか。一カ月前のお礼を言いたいが、泰章のことなどきっと忘れているだろう。

 そう思いながら、再度来店した時。

「いらっしゃいませ。お客様、来てくださったんですね。お待ちしていました」

 彼女は、覚えていた。

 嬉しそうな笑顔で、泰章を迎えてくれた。

 たとえそれが仕事であるからだとしても、嬉しかったし、心が弾んだ。

 お礼に紛れてすかさず名前を聞き、中山史織という名前を頭に焼きつけた。泰章も名乗りはしたが名刺は渡せない。大小の違いはあれど同じ業界だし、泰章のような肩書きを持った人物だと、驚いてよそよそしくなってしまう可能性がある。

 自然体の彼女に接したかった。作りものではない笑顔のままでいてほしかった。

 最初のうちは、やはり仕事の都合がつかず一カ月に一度程度しか店を訪れることはできなかった。

 我慢できない。しかし、史織に会いに行くためには、仕事に拘束されない時間を作らなくてはならない。それだから作った。滞っていた問題を片付け、先代の頃から続く面倒なしがらみをすべて切り捨てて。

 周囲がスッキリしてくると仕事もやりやすくなり、進みもよくなって、業績もまた上がってきた。

 半年は月に一度しか行けなかったものが、一カ月に一度になり、二週間に一度になり、十日に一度になり。そして、一週間に一度、史織に会えるようになった。

 その頃になると仕事も安定していたので、本当なら毎日でも顔を見に行きたかったのだ。しかしそれでは気持ち悪がられてしまう。

 来店する曜日を火曜に決めていたのは、月曜日に仕事を調節することで時間を作りやすかったから。gateau gateauは月曜日が定休日だったので、明日は店に行って彼女に会えると思えば仕事もはかどった。
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