いっそ、君が欲しいと言えたなら~冷徹御曹司は政略妻を深く激しく愛したい~
「……かわいい」
昨夜の余韻、とは。
悶々と考えそうになった自分を、泰章は心の中で殴り飛ばして正気を取り戻す。ダメだ。これ以上史織のことを考えたら、どこまでも都合のいい妄想に浸ってしまう。
すっくと立ち上がり、スマホをデスクに置いて襟を正す。秘書が戻ってきたら、さっきは悪かったと言っていつも通りの顔で笑みを作ろう。秘書も安心してくれるはずだ。
(よし、大丈夫だ)
短く息を吐き、肩を何度か上下に揺らす。スマホを目に入れた瞬間、殴り飛ばしたはずの自分が史織の余韻に浸ろうと出てきそうになり、スマホをポケットにしまいながら再び理性で殴り倒した。
「俺は、まったく……」
自分に呆れた声を発し、重い椅子を起こす。
「どれだけ、史織が好きなんだ」
そんなこと、自問自答するまでもないのに。
*****
今まで住んでいたアパートはもうない。帰る場所は烏丸邸しかない。
わかってはいても不安でたまらなかった。
行ったことも見たこともない家、薫とは顔を合わせたことがあっても、通いで何人かいるという家政婦には会ったことがない。
やはり親族と同じように史織を冷たい目で見るのだろうか。烏丸家に行ったら、まずなんと言えばいいだろう。
その前に、誰が迎えに来るのだろう。知らない親戚とかだったら、到着するまでずっと気まずい思いをすることになる。いっそひとりで電車に乗って帰りたい。
時間が近づくにつれ、それを考えると胃が痛くなりそうだった。
しかし、史織を迎えに来てくれた人物を見た瞬間、肩がふっと軽くなった。
「奥様の荷物は社長とおふたりで使うお部屋に運ばれています。クローゼットも書棚も、充分に余裕があるらしいので『好きに使え』と、社長からの伝言ですよ」
おだやかでしっかりとした声を聞いていると安心する。史織を迎えに来たのは弁護士の福田だったのである。
ホテルを出て、福田が運転する車で烏丸邸へ向かう。ひとまず迎えの対応という第一段階はクリアである。
「社長にも言われていると思いますが、お屋敷に到着しましたら、お部屋で社長をお待ちになってください。お屋敷内を見て回りたい気持ちもあるかもしれませんが、しばらくは不用意に部屋の外には出ない方がいいので」