いっそ、君が欲しいと言えたなら~冷徹御曹司は政略妻を深く激しく愛したい~
 理由はいやというほどわかるだろう。ワケアリの結婚であることは親族なら百も承知だ。

 おまけにそれを烏丸家当主の専属弁護士に言われたのでは、無理に押し切って史織に話し相手をさせることなどできない。

 ふたりは一瞬鼻にしわを寄せるが、すぐに表情を戻しゆっくりと階段を下りる。

「先生に言われては、無理強いはできませんわね」

「次の機会にしましょう。あの子にはいろいろと教えてあげたいし」

「そうよね、烏丸家のしきたりとか、礼儀とか」

「よそ様の夫に手を出すものではないというのは、一番に教えてあげなくてはね」

「そうね、知らないかもしれないし」

 ふたりはコロコロ笑いながら歩いていく。ふたりだけの会話であるかのように話すが、もちろんみんなに聞こえている。

「奥様、お部屋へご案内いたします。お疲れになったでしょう? すぐにお飲み物でもお持ちいたしますね」

 固まった史織に声をかけてくれたのは、先頭に立って迎えてくれた家政婦の光(みつ)恵(え)だった。少々気まずくなっていた空気が動きだす。他の家政婦たちも次々と声をかけてくれた。

「お荷物はお部屋に運んであります。いつでもお手伝いいたしますのでお声がけください」

「お飲み物はなにがお好きですか? なんでもおっしゃってください」

 屋敷の中へうながされながら聞かれ、パッと思いついたものが口から出かかるものの、あまりスタンダードではないかと言葉を呑み込む。しかし質問には続きがあった。

「旦那様は、お疲れになった時などホットレモネードをご希望されますよ。もしかして奥様もお好きですか?」

「ホットレモネード……ですか?」

「はい。果物の酸味はあまりお好きではないと思っておりましたが、二年前くらいから、時々飲まれます」

 心が揺れる。史織が渡したホットレモネードを飲んで安堵した顔を見せてくれた泰章を思いだして、胸の奥がきゅうっと締めつけられた。

「……わたしも……レモネード、いいですか?」

「もちろんですよ。ご遠慮なさらないでくださいね」

 玄関ホールから広い階段で二階へ上がると、部屋までは福田が案内してくれる。いつの間にか薫がいなくなっていたのが気になる。挨拶はしなくていいのだろうか。

「福田さん、薫さんにご挨拶をした方が……」

「いいんです。特に奥様から話しかけないようにとも言われておりますから」

「ですが、これから一緒に住むなら……」

「奥様」

 福田が立ち止まる。まだ絵画が飾られた廊下が続いていて部屋の前ではないようだが、史織も合わせて足を止めた。
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