いっそ、君が欲しいと言えたなら~冷徹御曹司は政略妻を深く激しく愛したい~
 もしかして……などと言う気持ちが少しあっても、「そうかもしれないですね」なんて言えるはずがない。

 あんな素敵な男性が自分目当てのはずがないし、自惚れにもほどがある。そう思うのもおこがましいとさえ感じるのだ。

 しかし毎回の指名のおかげで、とうとう後輩にまでそんな誤解を……。

「相談とか言いますけど、ようは自分が食べたいものを決められない優柔不断で決断力がない男ってだけかもしれませんし、史織さんみたいな優しそうで突き離さない女の人を狙うタイプかもしれませんよ。気を付けてくださいね」

「う、うん。大丈夫」

 誤解されたと思ったが、誤解の種類が違うようだ……。

「なんにしろ、話が長い男はダメですよ。ぐだぐだぐだぐだ、ロクなもんじゃないです」

 由真はハアッとため息をつき、首を左右に振ってからまた品物の補充をしていく。

 彼女の過去になにが……。聞くに聞けないでいると、カウンターから声がかかった。

「中山さん、お客様お願い」

 見ると、お茶会のお菓子を相談したいと電話が入っていた老婦人が、ショーケースの前で微笑んでいる。

「はい、すみません」

 史織は急いでカウンターに戻った。



 十八時に仕事を終え、後片付けを終えて店を出る。夏はこの時間でもまだ明るいせいか、なんとなく得をした気分になってしまう。

 店自体は二十時までなのだが、早番の販売スタッフはパートも含め十八時には仕事を終える。そこからは店長や遅番のスタッフが店を切り盛りするのである。

「夕飯なににしようかな……」

 呟きながらバス停へ向かう。史織はアパートでひとり暮らしだ。ほぼ自炊の生活で料理は苦にならないしむしろ好きなのだが、店を出た瞬間に襲ってきた蒸し暑さに胃が畏縮してしまった。

「中山さん!」

 近くで名前を呼ぶ声が聞こえる。自分と同じ名前だなとしか思わず、さほど気にしていなかった。

 声が男性のものだったし、帰り道で知り合いに会うことなどなかったからかもしれない。

(でも、どっかで聞いたことのある声だったな)

 そんなことをぼんやり考えていた時、いきなり腕を掴まれ、驚いて立ち止まる。顔を向けたところにいたのは……泰章だった。

「烏丸……様?」

 思わずキョトンとしてしまった。なぜ彼がこんな時間にここにいて、自分を呼びとめているのかわからない。

 とっさに思いついたのは、今日彼にお薦めした商品に関することだった。気に入らなかったのか、それともまさか異物でも混入していたとか……。
< 8 / 108 >

この作品をシェア

pagetop