いっそ、君が欲しいと言えたなら~冷徹御曹司は政略妻を深く激しく愛したい~
「あの……なにか、ございましたか?」

 こわごわ尋ねると、彼はハッとして史織の腕を掴んでいた手を離した。

「申し訳ない。いきなり腕を掴むなんて失礼なことを。中山さんを見つけてつい……、そんなにおびえないでください」

「え? おびえ……」

 てはいないが、そう見えたのだろうか。

「こちらこそすみません。おびえたわけではなくて、商品になにかあったのかと思いまして」

「お薦めしてくれたババロアですか? とても美味しかったですよ。言われた通り上から食べました。爽やかでさっぱりして、ババロアも求めていた甘さでしたし最高ですね、あの商品」

「本当ですか? ありがとうございますっ。パティシエにも伝えておきますね、喜びますっ」

 自分が作ったわけではなくとも、お薦めした商品を褒めてもらえるのはとても嬉しい。気持ちのままに笑顔になると、クスリと小さく笑われた。

「素直な方ですね、中山さんは。そんな笑顔は初めて見ました」

 一気に恥ずかしくなる。仕事が終わったせいで気がゆるんでいるのかもしれない。ちょっとハシャギすぎただろうか。

「申し訳ございません。当店の品物を褒めていただけたので、つい気がゆるんでしまいました」

 背筋を伸ばして気持ちを改めるが、泰章は笑顔で左右に首を振った。

「いえいえ、あなたの素の笑顔を見ることができて、私はとても嬉しい。ぜひそのままでお話をさせてください」

「そうおっしゃっていただけるのは大変嬉しいのですが……」

「もうお仕事は終わっているのでしょう? それなら、今の時間はあなたのプライベートだ。私のことも、よく店にケーキを買いに来る話のしつこい男の客、ではなく、帰り道で声をかけてきた失礼な男、とでも思って普通にお話しください」

 今度は史織が小さく笑ってしまう。なんてたとえをするのだろう。もしかして、自分でも話が長いと思っていたのだろうか。ついでに由真の「話が長い男は……」の話をした時のいやそうな顔を思いだしてしまい、どうしてもゆるむ表情筋を制御できない。

「ご、ご自分でおっしゃっては、元も子もないかと……」

 それと、失礼な人には普通というより警戒した話しかたになる気がする。

「あっ、やっぱり『しつこい』と思っていましたか?」

「思ってませんっ」

 慌てて首を横に振る。由真はああ言っていたが、いろいろ聞いてもらえるのは嬉しいし、それでお客さんが喜んでくれるのならそれに越したことはないのだ。
< 9 / 108 >

この作品をシェア

pagetop