◆ラヴェンダー・ジュエルの瞳
 タラが無事ヴェルの大地を踏み締めて五日後──。

 彼女は自宅の敷地に置かれたガーデン・チェアから、見える青空を眺めていた。

 傍らのテーブルからティーカップを手に取り、ぼぉっとしながら一口を含む。その(つや)やかな唇から、自分でも良く分からない溜息を吐き出した。



 ──どうも……上書きされてしまったらしい……。



 ヴェルへの飛行船から見下ろした広大なラヴェンダー色も、到着後駐艇場から自宅までに見えたラヴェンダー畑も、お陰様で『彼』を思い出さずに済んだのだが……どうしてだか、あのショールを首に巻いたシアンの笑顔がちらついて見えるのだ。

 ──彼も故郷(ロンドン)へ戻っただろうか?

 今をときめくファッション・デザイナーであるのだから、探す気になれば簡単に見つかるだろう。だが、引き留める彼を振り切って帰ってきてしまった自分には、もうその資格はないに等しい。きっと怒っているんだろうな──タラはそんな諦めで、だるそうに立ち上がり、今日の予定を思案した。

「工房にでも顔を出そうかしら……」

 案の定、ラヴェンダー染めは観光客に大好評なのだ。手を貸してくれと、叔父から帰国早々頼まれていた。

 食器をキッチンに戻し片付ける。身だしなみを整えたタラは、けれど工房とは逆の方向へ足を進めた。

 ──ちょっとだけネ……。

 タラの家は島の西部に位置する。其処からやや西方向に南下すれば、飛行船からも見下ろしたラヴェンダー畑が広がり、その先には美しい海原が横たわる。鮮やかなブルーグリーンの──シアン色の海が。

 歩いてゆく正面に、降り立とうとする飛行船が見えた。タラが帰ってきたフランス便は東の駐艇場を利用するが、西のこちらを使っているのは確かイギリス便だ。

 やがて美しく咲き乱れるラヴェンダーの(うね)に入り、突き抜けた向こうに求めていた色を捉えた。タラはラヴェンダー色とシアン色の狭間に立ち、南に目を向けて両方の色を視界に映した。





 ──折角戻れる自分を手に入れたのに、心は半分置いてきちゃったみたい。

 微かに(わら)いを洩らして、西からの暖かな風を受ける。十五分程していい加減工房に行こうと振り向いたその時──


< 319 / 321 >

この作品をシェア

pagetop