オタクと社会と僕
僕はオタクである。と自分自身で自覚しているつもりだ。

アニメやライトノベルなどをそれなりに見ているし、声優の名前などもある程度知っている。

高校でも部活仲間にたまに言われるくらいはオタクをしている。

しかし僕はアニメオタクなどのジャンルのオタクは一番いい人が多いのではないかと考えている。

そもそもオタクとはあらゆる分野において執着をもっている人のことを指しているはずだが、世間一般的にはなぜかオタク=アニメなどが好きな人となっている。

近年ではドルオタやジャニオタと使うこともあるが、少し前までは違ってアニメオタクのことマイナスのイメージで馬鹿にするようにオタクと言っていた。

どうにもそのことが気に食わなかったが、そのことのおかげでもあるがアニメオタクは一番心が広い人が多いと考えるようになった。

カーストが一番低い位置にあったからこそなのかわからないが、僕は他の人の好きなものを否定することはなくなった。

自分がアニメオタクだからこそ他の人が何を好きであろうと、自分もアニメが好きだしという考えがあるので気にすることはないと思っている。

他のアニメオタクも同じように考えているので、心の広い人が多いのではないかと考えている。

アニメも最近では多くの人に見られるようになっているが、まだまだアニメによっては馬鹿にされることがあるというのが事実である。

流行ったアニメがまだアニメができないときに漫画を読んでいるときでさえ、オタクと言われたことだってある。

しかしアニメが始まり人気になった時にはオタクという人がいなくなる。

所詮その程度の認識のため僕自身も気にすることはなくなった。

学校という小さな社会のコミュニティ内ではアニメが好きだというのは隠しておくに越したことはない。

そうして僕は社会に溶け込んでいる。

人はなぜアニメなどの分野を馬鹿にするのかが僕はとても気になる。

ボーカロイドなどの音楽も同じように二次元的存在をよく小馬鹿にする。

ただそういった風潮があるから何も考えずに否定しているように感じる。

僕は否定してくる人が好きなもののことをその人はよく知ってもいないのではないかと考えることがある。

音楽ではよくあるのだが、相手が好きなアーティストがいるとする。

そのアーティストは自分で歌っている人で作詞、作曲もしているなら関係ないが、基本的に曲作りなどはユニットなどで共同で作っていることが多い。

その作曲をしている人はもともとボーカロイドの曲を作っていることや歌っている人自身もカバーでボーカロイドの曲を歌っていることもある。

つまり最初に否定した時点でその人の好きなアーティストの好きなものも否定している場合がある。

そういったことも知らずにいる人が多く、好きなもののことを少しでも詳しく知ろうと思っていない人が多いのではないかと感じている。

ただ声が好きなどで詳しくなくても好きというのも悪いことではないし、たくさんの人に知ってもらうということも大切なので良いと思っている。

だからこそそういった人は軽率に物事を簡単に否定してはいけないと思う。

スマホアプリでカバー音源を利用していたり、最近のアーティストは特に元ボーカロイド関係の人が多い。

その情報を知らずに否定することが多いと感じる。

大体知っていても知らなくても人の好きなものを馬鹿にするのはよくないことだが。

きっとこその先僕は就職して、新たな友達が出来たとしてもしばらくはアニメなどが好きなことは隠していくだろう。

正直自分は心の広い人間だと思っているからこそ、本当に好きなものを共有する人は心の広い人同士がよいと考えてしまう。

相手にとってもそんな存在になれるように今後も好きなものは好きであり続けて僕はオタクとして社会の一員になっていこうと思う。
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