幼なじみの憂鬱
ほんの少し体重移動しただけなのに、私の呼吸は激しく乱れていた。
心臓は張り裂けそうなくらいドクドクと動いた。
血液が異様な速さで巡って体中を熱くしていく。
こんな余裕のない姿、こんな動揺した心音、私らしくなくて、恥ずかしすぎる。
見られたくない。
それでも私は、朝陽の頭を大事に抱え続けた。
私の胸の動きに合わせて、朝陽の頭も動いた。
ごわついた髪質に絡まる指先は、小刻みに震えていた。
「……するよ。付き合ってなくても、こういうこと」
震えながら動く私の口元と鼻先を、朝陽の髪の毛がくすぐる。
まだお風呂に入っていない朝陽から漂う香りは、いつもと違っていた。
これが、京の香りだろうか。
また私の知らない、朝陽。
知らない朝陽を見つけるたびに、私の心臓は焦りと不安でやかましく変な動きをする。
だけど今の心臓の高鳴りは、ただそれだけじゃない。
切なさ、苦しさ、焦り、不安、それから……
その先を考え始めた瞬間、胸の音が急に大きくなった。
「別に、普通だよ、こんなの」
胸の谷間あたりに張り付く小さな耳に、この鼓動が伝わらないように、笑って言ったつもりだった。
だけど胸の高鳴りも、その速さも、収まるどころか、強く加速するばかりだ。
自分が何かに押しつぶされそうで、頭を抱える腕にも指先にも、思わず力がこもった。
苦しさに息が詰まったその瞬間、朝陽がばっと私の体を突き放した。
「なっ、何やってんだよ」
園田家のポーチの灯りに、朝陽の顔が照らされた。
朝陽は顔を隠すように手で口元を覆って、私から視線をそらしていた。
そのまま家の中に入ろうとする背中に、私は声が震えるのをなんとか抑えて言った。
「じゃあもう、諦めたらいいじゃん」
その言葉に、玄関の取っ手に伸ばした朝陽の手がぴたりと止まった。
__言ってよ、いつもみたいに。「……だよね」って。
私に向けられた自信なげな背中から、震えた切ない声が放たれた。
「簡単に諦められてたら、とっくに諦めてるよ。
でもしょうがないじゃん。どんどん好きになるんだから。
あいつが好きだってわかってから、もっと好きになっていくんだから。
それでも彼女が、好きなんだから」
その答えに、私の胸がさっと何かで切り付けられたように痛んだ。
「八つ橋、全部食べていいから。おやすみ」
早口でそう言って、朝陽はドアの向こう側に消えていった。
朝陽に突き放された胸の上あたりが、まだじーんと痛かった。
その部分を、私はそっとなでた。
階段に置かれた生八つ橋が目に入った。
暗闇の中で、明かりに照らされてキラキラと輝く生八つ橋。
キラキラの正体は、一体何だろう。
薄い皮をそっとつまんで口に入れた。
人ん家の前で八つ橋を食べるって、ちょっと非常識だけど、まあいいか。
朝陽の家の前だし。
幼馴染みの、家の前だし。
皮はすっかりパサついていた。
鼻をずずっと吸いながら、それでも柔らかさを残す皮を咀嚼する。
味はよくわからなかった。
だけど、ニッキの香りだけが、詰まった鼻孔を開いていった。
私だってやけ食いしたい気分なのに、8枚の生八つ橋は、あっという間になくなった。