幼なじみの憂鬱
朝陽はしばらくそのまま固まっていたけど、ふっと鼻から小さく息を吐いて肩をガクンと落とした。
「え? なんでそうなるの?」
「だって、私たち、幼馴染みだし」
「だからって付き合うって……、好きでもないのに?」
真正面から受けたその言葉に、顔中の熱がさーっと引いていくのが分かった。
動揺している自分を誤魔化そうと、私は早口で朝陽に言った。
「幼馴染みの恋愛にはよくあるパターンだよ。
好きかどうかわからないなら、一回付き合ってみるパターン。
そこから少しずつ相手のこと恋愛対象として見始めて、やっぱり自分の運命の相手はこの人だったんだなって気づく感じ。
大切な人は、自分の一番近くにいる的な」
__そんなめちゃめちゃで、チンプンカンプンな幼馴染みのパターン、今までお目にかかったことはない。
「恋愛って、好きから始まるとは限らないでしょ?
幼馴染みの恋はその代表格だよ」
「そういうもん?」
「そういうもんだよ」
「へえ……」と朝陽は私から視線を夜空に向ける。
朝陽はぼんやりと空を眺めるだけで、何を考えているのかさっぱりわからなかった。
私の鼓動だけが、静かな夜の空気をうるさく揺する。
「でも……」
冷たい空気の中で、朝陽の声が震えた。
「それはやっぱり、違うよ」
朝陽が切なげな目を再び私の方に向けた。
「そういうのって、普通、好きな人でしょ?」
朝陽の目が、少しだけ厳しくなる。
「凪咲は、違うの?付き合うなら、好きな人じゃないの? 誰でもいいの?」
__そんなわけない。
誰でもいいわけないのに。
私には、朝陽しかいないのに。
それはもう、幼馴染みだからじゃない。
「だからそれは、これから好きになっていけばいいんじゃん。
私たちもう10年以上一緒にいるし、毎日のようにこうして話してるし、お互いのことよくわかってるし。
少なくとも、一目惚れして、まともに話したこともない彼女よりは全然付き合いやすいし、恋に発展しやすいと思わない?」
朝陽は少しぽかんとしていたけど、ふっと大人びた笑顔をせた。
「そんなんありえないよ。だって僕たち、ただの幼馴染みだよ」
__ただの、幼馴染み……
「そりゃあ僕たちいつも一緒にいるし、こうやって話したり、中学までは一緒に帰ったりもしてたけど、それはたまたま家が隣同士だからってだけで……。
それに凪咲だって、僕と一緒にいて冷やかされたりするたびに言ってたじゃん、「そんなんじゃない」って。
「ただの幼馴染みだ」って」
__それは、幼馴染みの恋では定番のセリフじゃん。
「それに、凪咲が親しくする男子って、いつも僕とは正反対の見た目と性格じゃん。
同情や慰めで、無理してタイプでもない僕と付き合うことないよ」
__それは、嫉妬してほしかったからだよ、朝陽に。
幼馴染みの恋に嫉妬はつきものだから。
「凪咲は明るいし、誰とでも仲良くできるし、しっかり者だし……美人だし。
僕とは全然釣り合わないよ。
凪咲は、マドンナだから。
僕の手の届く相手じゃない。
凪咲が僕と付き合うなんて、僕なんかを好きになるなんて、ありえないでしょ」
朝陽が力なく笑って言った。
「じゃあ、朝陽は?」
私の口から、吐き出された声は思いのほか小さかった。
だけどその声を朝陽はちゃんと拾い上げて、優しい目を私に向けた。
「朝陽は、私のこと、好きだったことはないの?」
「え?」
「朝陽はこの11年、一瞬でも私のこと好きだったことはないの?」
少しずつ強く大きくなる声は、その分だけ震えていた。
カタカタとなる歯を食いしばって、震えを何とか抑えた。
そんな必死な私の姿にきょとんとした顔を向ける朝陽の答えが、私にはもうその表情でわかるような気がした。
朝陽はふっと力を抜いて、穏やかな微笑みで私に言った。
「あるわけないじゃん」
朝陽の口元から、白い吐息がふわっと出てきた。
その吐息は、真っ黒な闇の中にさらさらっと消えていく。
「凪咲だって、僕を好きだったことなんてないでしょ?」
まるで当たり前のように、朝陽は私に聞いた。
「僕たちは、ただの幼馴染みなんだから」
朝陽はまたそう言って、小さな私の、幼いままの恋心にさっと傷をつけた。
「確かに凪咲と付き合ったら、凪咲は自慢の彼女だけど。
凪咲には、もっとカッコよくて頭も良くて、優しくて、凪咲をいつも守れるような相手が相応しいよ。
僕みたいな地味で、情けなくて、いるのかいないのかもわからないような頼りない男子じゃなくて。
そもそも、僕と凪咲は幼馴染みって感じじゃないよね。
凪咲が言うような、恋に発展しちゃう関係でもないし。
「友達」は……男女間では成立しないって言うし……」
__だったら、私たちの関係って、なに?
その答えを、朝陽はおかしそうに笑いながら、さらりと言った。
「結局僕たちは、お隣さん、だね」
「……おとなり、さん」
胸の真ん中を、冷たい風がさーっと貫いていく。
その部分が、かなり痛い。
息が吸えない。
いや違う、息が吐けない。
もうどっちでもいい。
指先から順番にカタカタと体が震え始める。
その震えを抑えようと、私は自分の手を、自分で温めるように力強く握りしめた。
その手を優しく包み込んで温めてくれる人は、こんなに近くにいると思っていたのに。
その相手は、どこかすがすがしい顔で、夜空を見上げている。