椅子こん!
告白。
それは誰もが一度は受けたことのある虐めのことでもあった。
「告ー白!」
「告ー白!」
男女を二人きりにさせて、周りからクスクス笑うのが流行っていた。
私もそれを受けたことがある。
全然、何も思っていない子だった。相手もそうだったと思う。
正確には最初に彼、が虐めの対象だったのだが、空き教室に呼び出されて、二人鉢合わせするように仕組まれていた。
そして何も聞いていないまま二人にさせられると、まわりが一斉に鍵をかけた。
クラスは話題に飢えていて、そんな青春を彩るにふさわしいのがこの恋愛ごっこだった。彼らは、虐めではなくて、善意と呼んでいた。
「ちょっと、出しなさいよ!」
私はドアを叩いた。
彼も、反対側のドアを叩いた。
この虐めの陰湿なところというのは、相手が自分をどう感じているかも同時に悟るところだ。
相手もまた「ふざけんな!なんでこんなやつと閉じ込められるんだ!」と苛立っていた。
胸がじわりと痛む感覚と、同時にそれは自分のことでもあって、他人という距離が、他人によって強引に破壊されることの圧倒的さは半端ではなかった。
しばらく、ガンガンとドアを叩いていたが、ギャラリーの告白コールが誰も居なくなると窓からベランダを伝ってそとに出た。
学校はずっと戦場だ。
恋愛という価値観すら現代には既に戦いの道具以外の役割はないし、甘美な響きなどおはなしのなかに過ぎないのである。
何日も、何日も、何日も。
冗談で作られたラブレターによる戦争、別の子と閉じ込められる戦争。誰かしらを二人きりにしては、周りの生徒が手を叩き、嬉しそうにニヤニヤ笑っている。
一番驚いたのは、先生だ。
「青春、だねぇ~」
と嬉しそうに、窓の外から、こちらを眺めていた。
そんななかに、いつの間にかうまれたのが『スキダ』を受け取ったら決闘していいという物だった。
スキダは、思春期の結晶とも言われていて特定の相手に対して生まれる魚型のクリスタル。
そして成長すると対象を常に追尾するようになる。
追尾がときどき攻撃に変わり、相手を殺すことも珍しくはない。
真正面から叩ききれる唯一の方法はスキダを送りつけた相手と向かい合って命懸けで戦い、突き合うことだった。
そのときはまだ小学生で、生まれるのを見る機会はなかったスキダは、やがて進学につれて大戦争の定番へと変わっていく…………
「許してください! ごめんなさい!
あああああああああああああーー!あああああああああああああー!許して!ください! スキダは要らない!飲み込まれる! 飲み込まれる! わああああああああああああああああああああああああああああああああああああ閉まってる、ドア閉まってる! ドア閉まってる! スキダが来る! うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ───────────────────────────────────────────────────────────────」
「お姉ちゃん?」
そっと腕を掴まれ、意識を取り戻す。
私はまだスキダが発動したことがない。
「ごめん……なんでもないの」
彼女の水色の髪を撫でる。ふわふわしていた。
開かないドア。
笑い声。
大口を開けてくらいにきた魚。
迫る恐怖。
逃げ場はなくて、「青春だなぁ~」と先生は笑う。
「……うん、恋人、とどけ……私、頑張る!」
女の子も、私も、まだ処刑されるわけにはいかない。