椅子こん!
台所に向かい、その付近の壁にそっと触れる。まだ大部分は破壊されたままのそこは、以前のもの悲しさを残している。
「……ただいま」
掠れたお札?が貼られているらしい一角に、話しかける。彼女はまっすぐに前を向いていた。そして、優しく、壁を撫でる。
「居るよね、そこに───」
壁は、何も答えない。
私はまだ、悲しむことが出来る。まだ、傷付くことが出来る。そして、戦うこともできる。
ぐにゃぐにゃと腕が伸びて、人型が姿を表す。
《ウゥ…………ウゥ……カラダ……》
「北国、行ってきたけど、ごめんなさい。肉体は、もう、残ってない、と思う」
椅子さんが、私の足に絡みつく。なにかあったら庇うようなしぐさだった。
《ソウカ…………スマナイ》
キムが述べたのは、なぜかそんな言葉だった。もっと、怒られると思っていたのに。
「あなたが、どれだけ此処に住んでいるのか、わからないけど……」
私は人形さんのときのように、紙袋から出した『それ』を胸に抱きしめて祈った。
「だけどね、もう、とらわれないで」
丁寧に、何度も唱えた。
「あなたの身体になりますように。あなたが、透明じゃなくなりますように。あなたの身体は此処にある。私の体温が、伝わりますか?
これが、あなたが透明じゃなくなるということ、あなたが生まれること、あなたが祝福されます。壁から出られるはず。あなたの身体は、こっちにあります」
此処に、来て
椅子さんが、触手を伸ばす。
紙袋から出していたのは、背中に羽が生えたかわいらしい女の子の人形。白い髪と、綺麗な目をしている。
やがて、人形が、ゴトッと音を立てて揺れたあと、壁の中は静かになった。
……。
反応がわからないけど、気に入ってくれたらいいな。
何日か、気が済んだら此処から出ていくのだろう。なんとなく、そんな気がした。
そして、それから数日後、キムは旅立った。